six-9のブログ

おっさんのブログ。エロゲとかアニメとか。

2019/03/12

 

さてと。

 

このさてと。という文末の締め方も、元ネタが出てこない。パッとは。西尾維新だったか、と思い出していて、CARNIVAL小説版だったことを思い出した。学が飛び降りる寸前ね。この世界はこんなにも美しい、思えばそんなこと、僕たちは知っていたはずなんだ。

CARNIVAL小説版とSWANSONGとキラ☆キラと、あとは田中ロミオの作品と。トップ!2なんかも、そうだけれど、mixi──今は無き古き名──に書いていた。ひまわりの感想で坂上秋成にコメントされたこともあった。面白さで言えば、伊藤計劃虐殺器官とハーモニー。凄かった。どのようにしてか、おそらく、〈個〉の時間の喪失に伴うものだろうけれど、感動を味わえる感情が無くなっている。そのように思われる。生活は感性を殺す、特に無味なる生活は。

 

さてと。

 

結婚をするという情報を得た。知り合い? 友人? 同志? 仲間? どのように形容してよいか、しばし書いては消した。結局、主格を省いて述べることしかできない。省略こそ日本の隠微なる特性。彼の事だ。

 

結婚など、ただの社会的契約であり、たんなる手続きである。脱童貞というか、初性行為というか、肉体的接触のほうが遥かにイニシエーションであるはずだ。〈個〉の世界では。なぜだろうか。ヒトは群れる生き物だからだ。異物を排除する生き物だからだ。ヒトですか? 私は? 

排除とは相互作用である。


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役に立つ文章では無い。誰かのために書いているわけではない。内省的な文章は誰の役にも立たない。俺の陰茎も勃たない。脚韻を踏んでも意味が無い。

渡航の「俺の青春ラブコメはまちがっている」が完結したようだ。足掛け7年くらいかけたのだろうか。作中でのケータイ描写がもはや古く懐かしく感じられた。読み直したためだ。初めの頃の2巻や3巻を。内省的かつ喩えた描写が多く、よくストーリーを復讐しておかないとわからない。同じセリフを違うシチュエーションで引用するなど。12巻あたりの感想。

渡航といえば、ガーリッシュナンバートークイベントで見かけた。すげえヤンキーっぽい見た目。話し方もそれ。ガーリッシュナンバーは20代最後になんかやりてーと思って創った作品だ。その言葉を何度も思い出す。

 

俺の考える(さいきょうの)俺と、リアルライフでのよわよわな俺の差異により軽く死ねる。なんにも本を読んでいないしだからといってなにかしているわけでもない。毎日毎週毎月、何にもなれないまま朽ち果ててゆく。

特別なことなんてない。ずっとこの愛すべき退屈な日常が続いていく。

 

いま目の前に二人で泣いてる子供がいて、もし僕達が子どもを作れたとして、この絶望的な光景に子供が一人追加されることになる。そんなのは僕には堪えられない。きっと理沙もそんなこと分かっているとは思うけれど、それでもどうしようもなかったのだろう。それとも子供ができれば何か変わるという希望に縋るしか無かったのだろうか。知らないうちにそんところまで理沙を追い詰めてしまっていたなんて、僕は薬のせいでぼんやりとした思考の中で申し訳ない気持ちになった。

 

電車の中で地図を広げた少女。どうやら電車の路線図にマーカーを引いたものらしいが、一体どこの地図かわからない。旅行中だろうか。スニーカーとリュックサック、肩までの黒髪。スニーカーの先が楽しげにリズムを刻んている。