six-9のブログ

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『とらドラ!』最終話を見て悲しいと思ったのは僕だけなのか?

注)原作小説未読につき正確ではない点があるかもしれませんが、ご容赦下さい。

 ネットを巡回していると、『とらドラ!』最終話の感想として感動した、とか爽やかだった、とかいう感想があるのだけれども。僕はひたすらに悲しかったです。
 なぜなら、大河が転校するしかなかったから。
 大河の転校が意味するのは彼女の成長だと思うのだけれど、そう考えると、そこから伝わってくるメッセージは「大人になるには痛み(別れ)が必要だ」というもの。これって、つらくないっすか?

 もちろん、ラストシーン(卒業式)で竜児と大河は再会するから、これからの二人は幸せっていうのはわかるんだけど。そして、これからの二人の関係は、今までの歪んだ『家族ごっこ』ではなくて、正しい男女の関係である、ということも大河が竜児と異なる制服を着ていること(互いに異なる存在として並び立つ)から伝わってくるのだけれど。

 そもそも僕が『とらドラ!』を好む理由は、櫛枝と竜児と大河の退廃的な『家族ごっこ』が魅力的だったから。この『家族ごっこ』は、最果てのイマでいうと廃工場の『聖域』だし、C†Cでいうところの『部活』だし、キラ☆キラでいう所のバンドであるわけで、つまり心に傷を持つチルドレンの共依存の場なんだよね。暖かい、というよりぬるい場所。この空気感が僕の目に好ましく映ったわけです。
 まあ、こういった爛れた関係は破壊されなければならないっていうのが、ストーリーの要請で、例示した三つのエロゲーでも共依存の場は必ず崩壊する。僕はこの悲哀と同じものを大河の転校に感じた。

 悲しいと感じるのは僕が大人になれていないからなのだと思う。