six-9のブログ

おっさんのブログ。エロゲとかアニメとか。

Rewrite雑感: 田中ロミオの変節.孤独の肯定.

もう発表から3年もたってるんですね...田中ロミオを嗜好する者としてこの3年前,楽しみにして来たRewrite

Rewrite 初回限定版

Rewrite 初回限定版

やっとプレイ終了.まだMemoryが全部埋まってない(Friend*1とQuestが虫食い)のだけれど,一応最後のエンディングまで見たのでとりあえず雑感をメモしておく.


[Caution] ネタバレ全開なので避けたい人は見ないでください.

*1:よく考えたらFriend"s"にしないとおかしいよな...ま,これはスタッフのちょっとしたミスだろうけど

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シンポジウム 「東日本大震災とこれからの思想」

株式会社ゲンロンに参加してきました.

思想地図β vol.2 緊急出版 東日本大震災と思想の言葉
シンポジウム
東日本大震災とこれからの思想」
瀬名秀明鈴木謙介+石垣のりこ+東浩紀

日時 : 2011年5月21日(土)14時〜17時
会場 : せんだいメディアテーク1Fオープンスクエア
入場 : 無料、定員150名(予約不要、先着順)
共催 : せんだいメディアテーク

3.11震災後の言論・文学に何ができるか? がテーマだった.*1

togetterまとめはこちら→5/21(土)思想地図βトークイベント「東日本大震災とこれからの思想」ツイートまとめ at せんだいメディアテーク - Togetterまとめ

写真は瀬名さんが資料として用意したスライド三枚*2



以下雑感.

瀬名さんは震災についてのエッセイを全て断ったとのこと.被災者としての時間・空間と作家(情報発信者)としての時間・空間には開きがあって、瀬名さん(含め作家、マスコミ、言論・文学)自身ができることはヒューマニティ災害の時間・空間である、というのは成程。瀬名さんの用意した資料はよく出来ていて、僕自身の理解に非常に役立った.瀬名さんの思いが篭っていたように思う.

石垣さんと東さんは共にお子さんを持っていて、時間という点から瀬名さんとは異なった意見を持っていた.ように思う.確かに,子どもを持っていると、情報への姿勢が変わるのはその通り.

瀬名さんが、「今は震災について語ることは出来ないが,10年,20年後に語る勇気を持ちたい」といっていた.これはまさにヒューマニティ災害(左上のスライド),終わりのない対話(右上のスライド)に対する仕事だ.トークショーの始めに示唆されていたように,言論の仕事場は災害直後ではなく,ある程度の時間経過後に状況が広範囲にわたってからになる,というのが一つの結論だと思う.

それとは対照的に,研究者に求められる,または科学に求められる役割というのは,災害直後の状況が限定的な中での助言だ,という瀬名さんの意見には同意.今回,いわゆる「サイエンスコミュニケーター」のような人たちが上手く活躍できなかったのは,この時間的・空間的なタイミングに乗り遅れてしまったからなのではないか? ここらへんで,右下のスライドの意味を再考してみる価値が出てくる.*3もちろん,右下の意思決定の問題については科学専門職かどうかには関わらず皆が一度は考えるべき問題であるのだが.

途中*4,震災後の日本の方向性として,鈴木さんが回帰直線の話を例に出して『全体として大多数が満足するような回帰直線は引けないが,グルーピングによってある程度のまとまりを持った集団の希望の方向性はつけることができる』みたいなことを言っていた.そして,それに関連して東さんも,『日本はもっと地域ごとに別れたほうが良い.例えば東北地方と関東首都圏,関西など』みたいなことを言っていた.つまりガンバロウ「日本」のような集団化はあまり良くないのではないか? ということ.

また,『希望』を語ることについて,つまりこれも言論がどう震災後の世界を牽引してゆくか,ということにつながるのだけど,それぞれ
瀬名さんは小松左京さんの阪神大震災後の作品づくりとか、なんとかっていう外国の人が書いてる希望という書籍*5を例に出して『多くの人々のそれぞれの希望観を蒐集したものの中から,一人ひとりが自分に合う希望の形を見つけ出すものなのでは?』
石垣さんも,その職業柄もあるのだろうけど,『日々の中で自分の感じた希望を伝えていくしか無い』みたいなことを言っていた気がする*6
東さんだけはちょっと面白いことを言っていて,言論の仕事はそれぞれが希望を見つけられるような「雰囲気をつくること」だと言っていた.これだけは「マス」メディアの中の人としての,今日のシンポジウムの穏当な着地点であるように思う.
鈴木さんが瀬名さんの話に乗っかって,公園とかの街中でみんなとにかくしゃべって,それをgoogleとかのサービスにアップ・ストレージして,各自が各自の希望を見つけられるようになれば良い,みたいな話をしていた.うーん…これは確かにその通りなんだけれど,そこに「マス」コミは必要ない.作家も編集者も要らなくて,ただただみんながみんなとつながってる状況.これはちょっと今日のテーマとズレてるかなー,なんて思った.だから,俺の中では瀬名さんと東さん,と石垣さんのまとめがしっくりきた.*7

最後に,今回の講演で本当に瀬名さんの発言が東北在住の被災者の心境を反映していたと思う.いい人選だった.「仙台の,被災者の言論はまだ回復していない.だから何も語れない.しかし,今回のシンポジウムは私にとって癒しになった」という最後の一言が印象的だった.

追記するなら,やはり言論の仕事は直接人を助けたりご飯をあげたり仕事をあげたりすることではない.その点で,衣食足りてなんたら,ではないけれども,震災からの再生に向けた言論の仕事というのはフィールドが独特なのかな,と思った.鈴木さんも「社会学的見地から言うと,復興に必要なのは資源と雇用とコミュニティだ*8」という発言で肯定しているように,誤解を恐れずに言えば,ほとんど言論ができる仕事はないのかもしれない.

*1:14:10頃に到着して,間に合わなかったーと思ったら,30分押しで14:30スタートになったとのことで,フルに見れて不幸中の幸いだった.

*2:こーゆーのってアップしていいのかわからないけど,意味があるような気がするのでアップします.なんか言われたら消します.あと見苦しい書き込みがあって申し訳ない…

*3:僕自身,工学研究科に所属しており,mSvとかの値については肌感覚で理解していたところもあるので,何かできたのではないかと思っている.

*4:どんな流れからかは忘れたが

*5:忘れた...いつ出版されるかわからない,みたいな話をされていたような...

*6:石垣さんの話は要点が見えなくてよくわからなかったから自信ないけれど...

*7:もちろん、鈴木さんが言った状況が実現出来れば良いとは思うけれども

*8:もちろん,それ以外の,例えば被災による気持ちや痛みの問題に対して言論の仕事が必要なのでは? との問いかけにつながるのだが...

20分間耐久筆記(二回目)

 つれづれなるままに二十分間耐久筆記を開始する。思うにこれは一つのブレインストーミングであり、ストレス発散でもあるような気がする。なんか、歩いている時とか、バス通学の中とかで、結構「俺って賢いな」という二ページくらいのエッセイのネタを思いついているんだけど、なかなか書きだす機会がなくて、勿体無いきがしている。最近思っているのは、やっぱり就活についてで。日本の(特に地方旧帝大の工学部の)就職活動は恵まれていて、OBとか推薦とかで、やっぱりすんなり決まるもんなんだ。ということ。あと、リクナビとかが悪だって言ってる人たちは今すぐ死ぬべき。ニーズがあるからあんなに発展してきたわけで。だって、リクナビがなかったら、あんな企業やこんな企業に、ワンクリックでエントリーできなかったわけだし。そのてんで非常に意義深い。ただ、おもうに、この「ワンクリックでエントリー」という手軽さが、応募者の急増を招き、ESとか、(もちろん、応募者だけではなく、人事担当の)選考の手間を増やしてしまっているのが問題なんだけどね。ただ、俺はESというのは非常によくできていると思っていて、ただあの空欄を機械的に埋めてゆけば自分の志望動機と企業とのマッチングがわかるのはちょっと凄いと感動している。試験問題で良問に出会ったときの気分だ。これ考えた人(達)はすげえ時間掛けて考えたんだろうな、とびっくりするくらい。
 ええっと、何が言いたかったんだっけ? いや、それでその機械的にESを埋めてゆく作業を行っていたときに気づいたのは、やっぱり大学の定期試験とおんなじで、テキトーにロジックで埋めていけばいーんじゃね? と思ったこと。定期試験との違いは、教科書と論文で発表された自然科学の知識を使うんじゃなくて、自分の経験を使って採点者を説得する、という、使用素材の違いだけ。ここらへんは、去年、卒業論文で「自分が実験したデータ」という何のオーソライズもされていないゴミからロジックを展開して読者を説得する、という経験をしたおかげで、なんというか、屁理屈を捏ねくり回して自分の暴論を押し通す、ということにさほどの罪悪感を感じなくなっているのでやりやすい、気がする。あとは、こーいった書類を書くのって、大学院生をやっていると結構あるような気がして、(レポートとか、予稿とか)、自分なりの書類仕事の片付け方のコツ(例えば、二日前までにゼロ稿書いて、前日に第一稿にして、印刷して音読して誤字チェックして提出、とか)を身につけているので、意外とやりやすかったりする。
 あと、就活(笑)をしていて思ったのが、やっぱり社会とのつながりをつくる作業だということ。普段は、やっぱり学生だから、「働く」ことを意識なんてしていないし、どうやって食っていくか、なんて考えていない。学術的に意義があること、もしくは、自分の知的好奇心の充足が主眼となって行動している。そんな中、リクルータなりOBなりに仕事の話を聞いて、社会人としての生き方を生々しく伺うと、これから先40年どうやって生きていくか、それも、これまでの20年ちょっとの経験をどう流用して生きていいくか、考える良いきっかけになっている。なんというか、そういった意味で、先述の「学術的な事にしか興味がない」俺は就活(笑)と思って馬鹿にしていたのだけど、ちょっとやってみて、大事だなあと考えを改めて居るのだ。でもやっぱり、俺の志望先を考えると、「僕は非現実的なものを好む(紺野柾木)」ではないけれど、安定性や将来性なんかよりも、「楽しいことをしたい!」ということばっかり考えていて、一般的な「人生設計」とは違うなあ、なんて思ってしまう。一週間ほど前に、地元の友人の結婚式に出席したのだけれど、もちろん俺以外の全員が地元住まいの実家ぐらしで、まあコストとか安定性とか病気事故のリスクを考えるとそれが最善なんだろうけれども、「それって楽しくなくない?」とか思ってしまう自分がいた。若いうちは都会に出ようよ。「大学生になったら一人暮らしがしたい!」その気持だけで地方旧帝大のここを受験したわけだけど、その時の決断は間違っていなかった。心からそう思う。やっぱり一人暮らしをすると、孤独を感じるけれど、その分自由も感じるわけで、なんというか、地元にいた頃の狭っ苦しい閉塞感からは開放される。ここらへんは抽象的で分かりづらいだろうけど、要は、個人個人の生き方の違い、もしくは感じ方の違いだと思う。俺は同じ集団に数年以上継続して存在できないタイプなので(部活も学校が変わるたびに変わったし、研究室も変わった)、なるべく変化をつけるような人生しか生きられないのではないか、などと寂しく思っている。

これで二十分。

(追記)
文字数カウントしたら1932文字。20分だから、つまり、1.61文字/sec。あれ、普段俺がしゃべるより絶対速いわ。
 前回*1やったときは考えながら書いてたから全然分量がかけなかったけれど、今回はすらすらと書けた。脳みその構造がその時と変化しているからだと思う。なんか知らないけれど、最近頭が良くなったような気がしていて、今回の分量が書けた、という結果もそれを実感させる一因になった。とまれ、一年半前とは頭の中身が変化しているのは間違いない。ま、どーでもいいけどね。

*1:といっても一年半前だけど

明日から使える3つの発表スライドTips: 進捗報告で教授を居眠りさせないために

ソースはこちら。*1http://d.hatena.ne.jp/keiko-te/20091202/p1

僕が目から鱗だったのはルール(3)と(4).次の進捗報告では以下の三点を意識して試用してみよう.

  • タイトルに数字を振って最初のコンテンツページを省略
  • 矢印ではなく「理由」「原因」「結果」などと書いて論理構成を伝える
  • 赤黒青の三色を使い分ける

*1:ドクターのブログは要チェックなのでブックマークしましたw.他にも就職セミナーの事とか面白いエントリいっぱい

ホップ、ステップ、弁理士試験

タイトルはホッテントリメーカー

博士課程に行くなら保険として弁理士資格とか持ってた方がいいんじゃね? などという浅薄な考えから弁理士試験勉強を始めることにした。とりあえず、弁理士試験のスケジュールと内容、必要な参考書などを独学の弁理士講座-弁理士試験の勉強法-を参考にしてまとめてみた*1
参考にしたサイトにもあるように、まずは独学で短答試験合格を目指していこうと思う。

*1:SlideShareも使ってみたかったのよ……

notいきいきな研究室

「notいきいき」な研究室について | いきいき研究室増産プロジェクト
僕は学部四年から修士課程に上がる際に研究室を移った。また、最近後輩の研究室選びについての意見を求められる機会が何度かあった*1。このため、「どんな研究室が良いのか?」について考えていたので参考になった。

上記ブログでは20個の"notいきいきな研究室の症状"があげられている。
去年の研究室では一つ当てはまることがあった*2。その時は「研究室ってこんなもんなのかなー」と嫌な思いをしながら過ごしていたのだが、今の研究室に移って初めてそれが良くないことだと気づいた。まあ、研究室の悪い意味での閉鎖性の発露なのだろう。

加えて、個人的に以下の症状がある研究室はすごく嫌だと思う。

  • 学生は教員の機嫌をとらなければならない。
  • 教員に聞いてはいけない質問がたくさんある。
  • 教員同士が悪口を言い合っている。
  • 教員が「去年の学生はよかったけど、今年は・・・」とぼやく。毎年。
  • 学生同士が悪い意味でのライバル関係にあり、貶めあっている。
  • メンバーが疲れ果てていて、向精神薬や、睡眠薬等を使用しなければいけない状況にある。

研究室スタッフには気をつけてもらいたい。

*1:自分の研究室に見学に来た後輩や、TA中に質問に来た後輩に相談された

*2:今はどうなのか知らないが……

課程博士のメリット・デメリット

ここ二週間ほど就活もせず、ドクターに行こうかどうか、うだうだと考えていた。大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアルや、「博士号」の使い方2などを読んだりした。どちらの本も、「就職するなら修士のときが一番」と語る。どうしても博士になると機会は減る。「なんとなくでの博士課程進学は絶対にやめろ」と書いてあった。まあそのとおり。

大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル

大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル

「博士号」の使い方2

「博士号」の使い方2

これを踏まえた上で、僕は博士後期課程に進学して良いのだろうか? まずメリット・デメリットを列挙してみないと始まらないので、とりあえず。

博士後期課程修了により得られるもの

  • 一つの研究を主体的に計画・実行・評価する経験
  • 国際的な研究ライセンスとしてのPh.D.

博士後期課程進学により失うもの、または就職して得られる物

    • 「新卒」という一番の売り手時期
    • 三年間の社会経験(ただでさえ、修士課程で二年のハンディを負っているのに、だ)。これは転職などの次のキャリアにもつながるステップにもなる。
    • 効率的な時間・仕事管理(どうしても学生だと自由な時間が多すぎて難しい)

博士後期課程進学に対して二の足を踏む理由はさらに

    • 経済的な問題。(3年間の学生生活費用+学費)
    • 限定的な就職先
    • 企業が博士人材に求める能力が高すぎること。例えば、高いリーダーシップなど

の三点がある。一方、就職することに対して二の足を踏む理由としては

  • 企業に依存した人生設計になってしまいそう
  • インターンシップで地方の工場勤務の実態を体感して、外部の人材との交流が難しそうだったこと(キャリアアップを考えると、大学内の方がいろいろな人が集まっているように感じられた)

さらに、博士後期課程に進学していいかな、と思う理由としては

  • Ph.D.を取るなら今が一番良い(社会人ドクターはリスクが大きい)
  • 幸いなことに、僕の学科ではPh.D.をほとんどの人が3年で取っている*1
  • 個人的に研究が嫌いではない

さて、どうしたものか。

*1:これは各人の研究テーマにも依存するから、一概には言えないが