six-9のブログ

おっさんのブログ。エロゲとかアニメとか。

20分間耐久筆記

研究の気分転換に20分耐久文章書きなぐりブレインストーミングやふー - ミームの死骸を待ちながらを見てムラムラっときたので。あと金曜日だし。


 始まりました20分間耐久筆記。てか20分間って長くね? カップラだと六個と2/3個。研究で言うとSiO2絶縁部の成膜時間。あとは思いつかないけれど、レジストの描画時間と現像時間が4分ずつだから、CR内作業が最短で終わるとこれくらいの時間。ああ、ロータリーポンプでアーク溶解炉を真空引き(荒引き)するのも20分くらいか。
 いきなり何を書き出してるんだテメェは、って思われるかもしれないけれど、って何で俺は読者、しかも居もしない脳内読者に対して謝罪、いや反論か、をしているんだろう。そもそもディスプレイの前に座るという姿勢が、対話をイメージさせるから仕方ないのかもしれない。原稿用紙に鉛筆で書き記していた時代は覗き込む必要があったわけだから、それは自己へ埋没してゆく行為だったけれど、現在のインターフェイスでは文字をタイプする行為は対話、ダイアローグに近しいものだと思う。ミーム(copyright id:Hash)じゃないけれど、情報がネット上の世界に浮遊、散乱、まあ兎に角、あ、拡散、違うか、ええと、とにもかくにも、断片的な切れ端がちらばっているような世界、システムでは完全に(敢然に、そして間然に)孤立した自己というものは存在し得ないのである。理由はない。Stand Alone Complexである。某公安9課っぽいセンテンス、そうだ、センテンスだ、これは数行前の断片的な切れ端がちらばっているような世界、システム、のあたりで言いたかった言葉だ、格好いい言葉がでなくて世界、システムと記述したけれど、センテンスがしっくり来る。そう、公安9課っぽいセンテンスだが、僕はこのセンテンスを田中ロミオエロゲーと小説から汲み取ったのだ。つまり、製作・著作田中ロミオ」なのだ。接続と解離は、田中ロミオの庭で、ミームをばら撒いて人類みんな接続すればでっかいコンピュータだからいっこ上の概念生命を認識できるぞー、という最果てのイマだったり、あ、今思うとこれは宇宙ヒッチハイクガイド、だっけ? のオマージュか、あとはアナログに共感と孤独を描いたCross†Channelだったり、隠れ里の最後の生き残りとして自分以外の人間を知らずに育った助手さんと人類文明の衰退を透視、いや違うな、重ねて見せた人類は衰退しました、だったり、ぽつぽつと散見されるわけだ。さきほどからぽつぽつと散見、とか、文字をタイプ、とかに表れているダブルミーニングインテンシブなものだから、決して俺がノータリンだからじゃない。
 ああもうあと五分しかない。
 脳内を垂れ流す、たりない。かゆ、うま。とまれ、まとめようとするのがいけないのだ。むしろ加速を。愚か者にこそ向こう見ずの祝福を。
 そう、情報とミームの話。だから俺は仮面ライダーWに面白さを感じるわけで、一心同体、という点に接続性を、フィリップの情報検索にミームという解離をみるのだ。否。ミームと言う解離ではなく、ミームの持つ皮相的な接続と本質的な隔離である。Fateの主人公である衛宮士郎と同じである。コピーという表層的、精神的な同一と、伽藍と言う肉体的な空所。ロミオの提示したQに対する伝奇的な直球の回答としてのFateは興味深い。

 おわり。

「なぜ」は理解と成長を促す質問

「なぜ」が悪いんじゃなくてレトリカル・クエスチョンなのが悪い - 発声練習
 僕もid:next49さんと同意見。さらに言えば、研究に関する話を指導教官とする際には、意図的に文面どおり(つまり、レトリカル・クエスチョンではない方)の返答を行うようにしている。これを心がけることで、自身の研究に対する理解が深化し、成長につながると考えているからだ。

 僕の考えの根拠は以下の通り。
 「なぜ」という質問は日頃「なんとなく」でやっている行為について改めて考えてみる良い機会だと思う。
 研究を進めていると、「なぜその測定を行ったの?」「なぜその薬品を用いたの?」といったレトリカル・クエスチョンともとれるような質問や、操作を誤ったときの「なぜ測定中にそのボタンを押したの?」という一般的なコミュニケーションの現場ではレトリカル・クエスチョン(=「測定中にそのボタンは押してはいけない!」)など、多くの「なぜ」が指導教官から飛んでくる。
 前者の質問に対しては、文面どおりに答えるとすると「僕のHogehogeという研究にはこのようなデータが必要なので、その実験を行うために確認としての予備実験としてこの測定を行いました」「この薬品を用いた処理はHogeという目的があり、ウチの研究室にある設備で行うためにはこの薬品を用いる必要があるためです」といった模範回答が挙げられる、と思う。こういった回答がパッと浮かばないということは理解が足りないということ。
 また、後者の質問に対しても、意図的に文面どおりの回答をすると「表示1がHoge1になったので、表示2がHoge2でAlarmランプが点灯していないことを確認したうえで、測定条件Hoge3をHoge3'に変更するためにボタンを押しました」といったところだろうか。この失敗に対する後者の質問に簡潔に返答できない場合、失敗の原因(たとえば、表示1がHoge1になっていても、表示1'がHoge1'であることもあわせて確認しないと意味が無い、とか)を自分の中でまとめられていない、ということを意味する。俯いて黙っているだけでは指導教官がイラつくだけで、僕自身次回以降どこを改善していいか指示をもらえない。逆に、理解できていないことを相手に理解してもらえば、相応の助言がもらえるかもしれない。「おまえはそんなこともわかってなかったのか」と、一層怒られるかもしれないが、長期的に見ると、メリットといえるだろう*1
 最近は何か操作を行うときは脳内指導教官がスタンドのように現れて「なぜ」を右斜め後ろから問いかけてくる。おかげで、脳をフル回転させて考える癖がついてきた。いい傾向だと思う。

 と、ここまで書いてきたものの、僕自身弱気な人間なので「なぜ」と問いかけられると萎縮してしまう。実際のコミュニケーションではレトリカル・クエスチョン的用法の「なぜ」が依然として支配的であるためだろうか。従って以下のエントリにあるように「なぜ」を「何」や「どのようにして」に変えるのは大賛成。これからは意識していこうと思う。

「なぜ」の代わりに「なに」「どのように」を使うことで、相手に客観的に事実を捉えさせ、原因や理由を考えさせることができます。たとえば、「なぜ」は次のように言い換えることができます。

・「なぜできなかったんだ」
  「できなかった原因は何だろうか?」(「なに」の活用)
  「次はどんなふうにやろうと思っている?」(「どのように」の活用)

・「なぜやらないんだ」
  「何が障害になっている?」(「なに」の活用)
  「どんなふうにするとやりやすいかな?」(「どのように」の活用)

・「なぜ売り上げが上がらないんだ」
  「売り上げが上がらない原因はなんだろうか?」
  「売り上げを上げるために他に何が必要だろうか?」(「なに」の活用)
  「売り上げを上げるためにどのようにするといいだろうか?」
  「売り上げを上げている人は、どのようにしているのだろうか?」(「どのように」の活用)

・「なぜ目標達成できなかったんだと思う?」
  「目標達成に向けて、今回の体験からなにを学びましたか?」(「なに」の活用)
  「どうやったらうまく目標達成できただろうか?」(「どのように」の活用)

 このように「なに(What)」や「どのように(How)」を上手く使うことで、相手を反省や自己防御といった「止まった状態」から、原因を明らかにしたり次に進める方法を考えるという「動き出す状態」へ導くことができます。

- エキサイトニュース

 と、ここまで書いてきて一匹狼のための一人Q&A大会 - 発声練習とカブってることに気付いた。これも「なぜそんなエントリを書こうと思ったの?」という脳内指導教官のお蔭か……

*1:但し、これは研究室で研修を受けている身としては、という仮定の下。職場とかだと徒に上司からの評価を下げるだけでデメリットの方が大きいんじゃないかな?

論文検索

 卒論が本格的にスタートした。
 と、思ったら装置が壊れてしまいすることがない。早くても11月の頭までは復旧できないとのこと。僕の研究室は実験系なので装置が動かないと卒研がまったく進まない。どうしたものか……
 焦りばかりが募る。

 ところで、自らの実験計画を練るに当たり、Experimentalに絞った論文調査を行っているのだが、まったく成果が上がっていない。使用している材料を変えてみる、という研究なのだが、僕の研究室の装置で同様の研究を行っているグループが見当たらない。今の所、Scirusでキーワードを入力して上から虱潰しに読んでいくという方針でやっているけれど、効率の悪さが甚だしい。どうしたものか。

『暗い部屋』発売中止

 注目している作家である唐辺葉介の期待していた新作が発売中止になった。落胆。

http://karabe.jugem.jp/?eid=12

すでに耳にして驚いている方もいるかもしれませんが、僕も今月頭にその報を電話で突然知らされた時は驚きました。
社内の倫理規定に抵触したそうです。一応苦し紛れの修正案も作成したのですが、表現の問題ではないらしく、決定を回避するような作りかえは不可能でした。

去年の『犬憑きさん』を始める前から作業に取りかかり、今年の四月には原稿を渡しています。そこで一度は担当さんからOKも出ていたので安心していたのですけれども、こんなこともあるのですね。

 一度原稿を渡しているのだから、その時点ではOKだったってことだろう。最近の児童ポルノ法関連だろうなあ。
 前の日記レイプレイ問題とエロゲ規制について - S_exで懸念していたことが実現してしまった。太宰とかなんてもっと過激な描写ばっかりだと思うのに、何故。

 同人なり他の出版社から出すなりしてなんとか世の中に出してくれないかなあ。少なくとも俺は読みたい。

サーベイに関するQ&A

 B4の俺に「卒論のテーマを自分で考えろ」という無茶な指令を下されて以来、ここ二週間ほどオープンキャンパスの準備と実験装置の使い方を習いつつ時間の空いた深夜に論文を探したりして残り半年間で何をしたらいいのか、調査と言う闇の中を彷徨っています。
 そんな中で見つけたのが以下のページ。*1

http://web.yl.is.s.u-tokyo.ac.jp/~sumii/survey.html

[Q] サーベイはどれぐらいの量をやるべきですか?

[A] 人にもよるとは思いますが、*最低でも*月に5〜6本の論文に目を通すべきです。最初のうちは時間がかかって大変かもしれませんが、慣れてくれば一本一時間ぐらいで大体の内容は把握できます。

[Q] 私はそんなにいろいろな研究には興味がありません。

[A] それは視野が狭すぎます! そんなに守備範囲が限られていては、まともな研究はできません。特定の分野のspecialistになるのは決して悪くありませんが、周辺の分野についても勉強しなくては、自己満足のための研究しかできないでしょう。たまに「理論には興味がない」という実装の人や、「実装には興味がない」という理論の人がいますが、そういう人はろくな研究をしていません。ほとんどのまっとうな研究者は、自分の専門じゃない分野でも本質をよく理解しています。たとえば、π-calculusのspecialistとして有名なDavide Sangiorgiは、実際に会って話を聞いてみたら、細粒度スレッドスケジューリングから並列/分散GCまで、実に様々な研究を詳しく知っていました。

[Q] サーベイした論文はミーティングで紹介すべきでしょうか?

[A] もちろんです。ただし、世の中には人に説明する意義の小さい論文も多い(僕の経験だと9割以上)ので、迷ったら誰かに相談すると良いでしょう。また、ミーティング(や授業)で発表するときは、少なくとも1〜2週間はかけて準備するべきです。直前に慌てて論文を読み始め、ろくに理解していない状態で発表するのは、自分にとっても損ですし、聴衆にとっても迷惑です。

[Q](by 田浦さん)とにかく論文をいっぱい読めといわれても困るのですが,どこから手をつけたら良いですか?

[A](by 田浦さん)勉強する論文の数を増やすにはいくつか方法があるでしょう.

1. ACMIEEE情報処理学会,ソフトウェア科学会の会員になりましょう.ACM/IEEEは自分が専門でなくても,興味のある分野のSIGに入ってproceedingsやjournalが送られてくるようにしましょう(研究をはじめて2−3年で自分の「専門」を定義せずに自分の興味の向くものにどんどん目を向けましょう).Proceedingsや journalが来たら,こわがらずに目次を最初から最後まで眺めましょう.最初はわけわからなくても気にせずに続けましょう.タイトルに少しでも興味のある論文はアブストラクトに進みましょう.さらに興味があったら本文に突き進みましょう.時間がなければその論文の存在だけを心にとめておき,必要に応じて,例えばそろそろゼミで自分の発表の番だったり,自分の論文からその論文をreferする時などに丁寧に読み返しましょう.
それを続けていくうちに,色々な分野の大体の様子がわかってきましょう.また,分野間のつながりも見えてくるでしょう.すると一つの論文を理解するのにかかる時間が短くなりましょう.
たくさん読んでいくと,タイトルを見ただけで論文の内容がわかるようになるでしょう.また,本当に自分の専門とする分野であれば,来年のproceedingsに載るタイトルが予想できるようになりましょう(20%本気).そうなったら内心で喜びましょう.
 2. 論文を読んでいる時に,論文の引用マーク([3]など)が出てきて,少しでも重要だと思ったら面倒くさがらずに「必ず」なんという論文かをチェックしましょう.論文はほとんどの場合過去の仕事の拡張になっています.ある論文を読んで今一つ理解ができないと思ったら過去へ過去へと面倒くさがらずにさかのぼりましょう.いつか基本となるアイデアを明快に,かつ優しく説明した論文に突き当たるでしょう.
たくさん読んでいくと,論文の引用コンテクストで,後ろを見なくても「あ,この論文でしょう」とわかる回数が多くなってくるでしょう.そうなったら内心で喜びましょう.
3. ある論文の著者が,自分のプロジェクトへと読者をいざなうことはとくにシステムの実装の研究では良く行われましょう(プロジェクトのweb pageをreferしたりしてるでしょう).そうしたら必ずそのweb pageを面倒くさがらずに訪れましょう.そのプロジェクトの全体のゴールを知ることで,ある論文の背景を知ることができましょう.もう一つのご利益として(2)で述べた,過去の論文をたどるのがすべてonlineですむようになる,というのもありましょう.
4. ACM/IEEEのDigital Libraryに入りましょう.しかしそれと同時に自分の足で図書室に探しに行く手間をおしまないようにしましょう.図書へ行くのがどうも面倒だという人は,ときどき思い立った時に,10個とか20個くらいの論文を「一気コピー」しましょう.紙をケチらずに関係のありそうな論文や興味のある論文をじゃんじゃんコピー・印刷し,詳細を理解しなくても良いものは「早いペースで」読む習慣をつけましょう.

帰りの電車の中で10分で読んだ,読んでみると実はくだらなかった論文も「読んだ」うちに数えましょう.そうやって,たくさん読んだことにして内心で喜びましょう.

卒論生の論文を読む心得としてはid:next49さんの論文の読み方 - 発声練習

 卒論生は、読み込みの質よりも量が重要だと私は思っています。一度読んだら、二度と読まないという読み方ではなく、複数回読むことを前提に論文を読みましょう。自分でコピーや印刷した論文ならば、ラインマーカーや直接書き込みをして、読み込むごとに重要な点がすぐに発見できる、あるいは読み込みが深くなるようにしましょう。

座右の銘にしていたけれど、また新しい文献調査のHow toを得ることが出来た。

*1:それにしても、個人的な印象だけど、こんな風にblogとかHPで研究に対するtipsを公開してるのは情報系の研究者ばっかり。俺のやってる応用物理とかそっち系の人には出会ったことが無い。。。

院試免除と3.5年早期卒業;0.5年の先取りに意味はあるのか?

 大学院入試の筆記試験が免除になったと今日ボスから報告があった。
 院試勉強しない分研究に打ち込んで九月までに今後の研究のコアとなるものをつくれるように、と言われた。チャレンジングなテーマに取り組めるのはB4とM1の時だけだからいろいろなことに手を出してみて欲しいそうだ。

 3.5年早期卒業の件についても少し話を伺うことが出来たのでメモをしておく。
 僕の系の3.5年早期卒業制度というのは、おそらくだが、学部を3.5年、マスターを1.5年で卒業してドクター3年間までを見越したコースのこと。まるまる一年の早期卒業が期待できる。その分学生に課されるハードルは高くてM1の四月、つまり早期卒業でなければ卒業論文を提出するころに査読付き論文の提出を要求されるそうだ。この要求は厳しいらしく、クリアすることの出来ない学生も居るとか。さらに卒業論文を書くという経験をできないこともネックらしい。話を聞いてみるとそんなに魅力的なプランじゃないように思えるのだが、どうなんだろう。
 ちなみに僕は早期卒業の権利は無いとのことでした。