人間に戻った。
JOKERを観た。空の青さを知る人よ。を観た。
JOKER
階段(有名なやつ)の昇り降りでアーサーの状態を表現。とぼとぼと登るだけだったアーサーが、母親を殺して階段を降りる。刑事を振り切って。この対比は印象的だった。地下鉄とバスにも何回か乗っており、それぞれについても意味がありそう。陰鬱な映像とコミカルな音楽のコントラストが時計じかけのオレンジとか2001年宇宙の旅みたいだった。
空の青さを知る人よ。
すべての31歳は観るべき。
18歳の頃の閉塞感と万能感。閉塞感は秩父という盆地とシンノの閉じ込められるお堂に象徴される。
18歳の決断と後悔に縛られる31歳のあかね
18歳の拒絶と後悔に怯える31歳のしんのすけ
あかねとしんのすけは秩父での再開から最悪で(ビジネスホテルでのしんのすけの「もったいぶってんじゃねーよそんな歳でもないんだし」発言)、その溝は、音楽ステージ設営の裏で空の青さを知る人よ。を弾いて、そしてなけなしの勇気で告白したしんのすけをあかねが(これも勇気の無さから)拒絶することで決定的になる。
しかし、その後、お堂での告白を経たあおいからシンノへ、そして崩れたトンネルでの告白によりシンノからあかねへ、最後に、あかねの車中であかねからしんのすけへ、それぞれ肯定のバトンが受け渡される。18歳のあおいの無謀な若さ強さによって、あかねとしんのすけが再び肯定されて生き直す。
その結果としてシンノは触媒としての働きを全うして消える。
良くできた中年再生ストーリー。
そうだよね。私、まだまだこれからだもん。あかね。
虚無。2019.11.12
現実世界の方でいろいろと有り、それはそれで生きているのだから仕方ないのだけれど、やはり現実はメチャクチャに来るし、現実の圧迫感の前ではインターネットやフィクションの脆さというか空疎さを感じてしばらく離れてしまった。
3.11以降、本を読めなくなったとえるさんが言っていたが、その時の感じはこんなふうなのだろうか。
人間は「適応」するとP.DOLANも書いていたし、そのとおりで2ヶ月から3か月ほど経てばまたフィクションを楽しめるようになった。しかし、どうにも「それ以前」に感じていた楽しさとか興奮みたいなものを喪失している。どうでも良い。どうせいつかは死ぬ。
あっという間に年末。毎年、毎月一つ以上はブログを上げようと思っているのだけれど、そして4月くらいまでは実践できるのだけど、後半が難しい。1年間は終わってみれば短い。少しずつだけれど、歳を取り、老いてゆく。
子供が大人になる20年と介護で看取る20年が同じ長さというのは、なかなかにしんどいものがあるなあ。
眼球のおもてに映る蛍光灯臥す母の眼の開く毎灯る
(第四十八回 全国短歌大会 佐久間敬喜)