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six-9のブログ

サラリーマンのブログ。エロゲとかアニメとか。

龍の歯医者素晴らしい。ありがとう野ノ子。僕の龍の歯医者-前編・後編-

アニメ 読書感想

龍の歯医者の感想を二時間位かけてまとめていたら、途中で下書きが消えた。*1

やるきを無くしたので、わかった部分だけ書く。

 おそらく後で追記する。

 

(2017/03/12: 追記した) 

龍の歯医者、鶴巻+榎戸コンビのスタイリッシュさで楽しく視聴できた。

ここ一週間、毎晩見返して、さらに寝ながら睡眠学習で流している。どこを見ても面白い。

鶴巻と榎戸の似非スタイリッシュ(フリクリ、トップ2!)が好きなので、めちゃくちゃ楽しかった。龍と龍の歯医者っていう設定と、神々しくもある龍の描写は舞城王太郎っぽい。殺戮虫が兵士をぶっ殺しまくるシーンは、音楽含め、シン・ゴジラを彷彿とさせる。

 

 

 

 ストーリー順に印象的なシーンを抜き出してみる。

前編・天狗虫編

短編時代(日本アニメーター見本市)をベースにした筋立てで、野ノ子の龍の歯医者の試験については、ほぼそのまま流用されている。ただし、日本アニメーター見本市では、あくまで野ノ子と龍の歯医者の描写に終始していたのに対し、天狗虫編では、ベル*2という主人公を迎えて、あくまでベルから見た龍の歯医者とキタルキワの説明という形になっている。

柴名姉さんと佐藤修三君を題材に、龍の歯医者の宿命とキタルキワを描いている。

龍の歯と歯医者について考えるのに役立つシーンを書いてみる。 

 

野ノ子とベルが。歯石虫を触るシーン。笑う野ノ子と、泣き出すベル。この先、幾度となく描かれるベルと野ノ子の対比。後編の、ベルの選択にもつながる伏線。龍と龍の歯と、ベルの蘇りについて読み解く上で重要な台詞でもある*3

ベルの台詞にある、ベルの気づきにある通り。死者は、正確には死者の思いは龍の歯に還る。遺品は死者の落とし物。ただし、ベルはこの時点では、自らが蘇った意味には気づいていない。「何か意味があると良いな。僕がここにいることにも。」という台詞の通り。

騒がしいでしょ。この菌に触れると、歯の中の楽しそうな声が聞こえてくるんだよね。(野ノ子)

 

これって、死んだ人の声でしょ。たくさんの死んだ人たちが、この龍の歯の中を通り過ぎているんだ。さっきの落とし物は、遺品なんだよ。

野ノ子の国の人だけじゃなく、僕の国の人も。

いろんな、死んでしまった人たちの思いが、通ってゆくときに、重いのか、いらないからなのかわからないけれど、あの世へ持っていけなかったものを捨ててゆくんだ。

龍って一体何なんだ? 死んだ父さんと母さんの思いも、この歯の中にあるのかな。何か意味があると良いな。僕がここにいることにも。(ベル)

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日本アニメーター見本市時代からの名残で、野ノ子の龍の歯医者になる試験の描写もある。龍の歯から戻ってくる前に、キタルキワとして、地上で金髪の兵士に殺される姿を幻視する。

死ぬんだね、私。でも私、なんでかわからないけれど、わかっている気がする。 私が何をするべきか。(野ノ子)

 

 連中は皆、竜の歯になった。自分の運命を受け入れずに抗ったんだろう。勇敢だ。だが龍は運命に抗うことを許さない。(悟堂)

 

龍の歯医者とは、キタルキワを受け入れたものとして描かれるが、後編・殺戮虫編を見ると、単にキタルキワを受け入れただけではなく、人生をかけて他者への献身をすること、利他的になれることを覚悟したものとも取れる。佐藤修三くんの最後も、歯科要らずごと捕食されて、自らの命と引き換えに天狗虫を退治するのだ。

 仕事が忙しくて、殆ど忘れていたぜ。(佐藤修三)*4

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後編・殺戮虫編

ベルと野ノ子(に代表される龍の歯医者)との相違が繰り返し描かれる。

ベルは歯医者ではない。前編・天狗虫編で描かれた歯医者の在り方とは相容れないということが、ベルと野ノ子とのやりとりで繰り返し示される。

そして、ベルがやるべきことを自覚し、龍の上で龍の歯に還る。

以下、印象的なシーンを抜き出してみる。

 

最初にベルの地上での惨めな最後と、その後悔が描かれる。ブランコとの確執も。 

悔しかったことも、惨めだったことも、全部覚えてるのに、それなのに実感無いんだ。(ベル)

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地上での一夜を過ごした後、野ノ子に同道することをベルは拒む。

一緒に行かないってなんで? やっぱり戦争に手を貸すのは嫌?(野ノ子)

違う。そんなことじゃない。僕が嫌なのは、野ノ子たちがキタルキワを知っていることだ。知っていて何もしないことだ。死ぬことを受け入れていることだ。(ベル)

誰だって死ぬよ。(野ノ子)

なぜもっと生きようとしてくれないんだ! 僕は野ノ子が死ぬところを見るのは嫌なんだよ。(ベル)

ベルはどうするの? (野ノ子)

わからない。でも、龍の歯医者にはなれない。(ベル) 

 

ブランコの襲撃、それによる野ノ子の身を案じて、なし崩し的に、ベルと野ノ子は共に龍の上に戻る。

柴名の絶望という感情が産んだ殺戮虫も、虫歯の一種であることを看破し、野ノ子に治療に戻るように諭すベル。ここで、ベルも「やるべきこと、龍の力により蘇った意味」を自覚しているようにみえる。

僕は、やっぱり、龍の歯医者にはなれない。僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ。行って。ノノコ。(ベル)

 

龍の上でのベルとブランコとの対峙。そして決着。

さすがの僕もいまならそれを知ってる。でも君は知っているのか。君が銃を突きつけられながら、殺意を抑えておける人間じゃないってことを。(ベル)

それはそうだ。歯医者*5よ、死ね!(ブランコ)

 

 末期のベルのモノローグ。龍の歯、蘇りについての解説にもなっている。前編・天狗虫編の歯石虫のシーンと合わせて見るとよく分かる。

虫歯菌が人の思いの残り滓だとすると、何かに感動したときの気持ちも、やはり龍の虫歯の原因になるのだろうか。(ベル)

  

結局、ベルが"もう一度生かされた"理由はブランコによる不名誉な死への悔悟と、その整理のためだったのだと思う。感情の整理を手伝うのが、龍の歯医者だ。野ノ子により、ベルは感情の澱を払われて、龍の歯の中に還る。

龍の下で死んで、竜の歯から出てきた僕は、龍の上で死んで、竜の歯に還る。この奇妙な循環の中で僕は、何かの役割を果たせたんだろうか。その答えについては、もはや僕には必要じゃないかもしれない。それでも、今ならわかる気がする。龍がどうして僕を選んだのかはわからないけど、僕がもう一度生かされた、その理由なら。

君に出会えて、本当に良かった。ありがとう野ノ子。僕の龍の歯医者。(ベル)

 

歯医者とは、感情の整理を手伝ってくれる存在。その特徴として限りない利他心と献身性があるのだと思う。龍の歯から出てきたベルを助ける野ノ子。ベルを小澤に引き渡すのを拒否する悟堂も、利他心のあらわれとして読める。自らの犠牲と引き換えに天狗虫を退治した佐藤修三くん然り。柴名姉さんさえ、歯医者がこれ以上犠牲になることを厭うて龍の歯を奪い、ブランコと協力して龍を滅ぼそうとした。天狗虫への執着さえ、タケモトさんへの好意が元になっている。その意味で、柴名もまた龍の歯医者と言える。

シルシを見たろう。どんな姿になろうと、お前は今でも歯医者だよ。(悟堂)

 

参考になったブログとか。

舞城王太郎視点からの龍の歯医者感想ブログ

確かに馬の描写は山ん中の獅見朋成雄っぽい。龍が人間の感情を表している、とか、歯医者は感情の整理を手伝う存在、なんかはこのブログから教えてもらった。*6

 虫歯菌の、特にヒカリ虫が『好き好き大好き超愛してる。』に出てくるASMAを思い出させるし、柴名の「生きている以上、いつも何事かを決めるんだよ」というセリフは舞城の短編『みんな元気。』で同じテーマを扱ってるし、ベルの最後の独白の馬のモチーフは舞城が『山ん中の獅見朋成雄』や『獣の樹』で使ってるし、舞城ファンの私は『龍の歯医者』の中に舞城要素を見つけてよだれを垂らす。

アニメ『龍の歯医者』の考察メモ - ギュッと五臓六腑

 

榎戸洋司視点からの龍の歯医者感想ブログ。

遊星歯車装置とネオテニーからの永遠の少年性、ピーターパンシンドロームの類推は膝を打った。このサイトには書かれていないが、俗世から浮いた感じの龍の歯医者、野ノ子と、野ノ子に憧れるベルという構図は、フリクリ、トップ2と同じ。フリクリでは、ハル子に憧れるナオ太、トップ2!ではラルクに憧れるノノ*7。他にも元気いっぱいな野ノ子の描写なんかは、榎戸洋司のノノやジュンコ先生を彷彿とさせる*8

 舞城王太郎が原案ですが、共同脚本の榎戸洋司作品の「いつか訪れるであろう死。それまでにやるべきことをやる。その想いの強さが力になる(『キャプテン・アース』25話)」というテーマからの直系という印象を持ちました。

(中略)

榎戸作品では『トップ2』の宇宙怪獣(幼児的万能感を持ったまま成長してしまった者)、『スタードライバー』のヘッド(楽しかった過去を永遠に繰り返したい人)、『キャプテン・アース』の遊星歯車装置(永遠の命を求めるあまりエゴが肥大した人たち)と、際限なく膨張する欲望は批判的(必ずしもすべてを悪と断ずるわけではない)な視点で描かれてきた経緯があります。他方で、懸命に生きる日々の一瞬にこそ「永遠」が宿ることも描かれてきた。“キタルキワ”を受け入れ、その上で今日を生きようとする龍の歯医者は、過去作で描かれた「限られた生の中でやるべきことをやる」という生き方をあらかじめ体現した人たちだと言えます。

『龍の歯医者』前後編感想 龍と歯医者って感じじゃなくて - さめたパスタとぬるいコーラ

 

アニメーター見本市時代の短編バージョン。

2017/3/31までの限定公開とのこと。

長編を見てから見かえすと、野の子の声優が林原なのと、キャラデザが少し野暮ったい、あと榎戸脚本じゃないからなのかストーリーが投げっぱなし。それが短編の良さを出しているのだけれど。印象としては短編の方が強い。

animatorexpo.com

 

 

 好きなところ

 冒頭のフレーズ

彼の国には龍が棲んでいる― 神話として語られた人と龍との契約がそのまま真実とは思えないが、科学万能の現代においても龍と龍を守護する職能集団“龍の歯医者”たちは確かに存在する― 

毎話、アバンタイトルでこのフレーズが入る。並行して描かれるショートストーリは本編とは関係ない。殺戮虫編のテキストエディタ編の方がモダンで素敵。

日本昔話のモノローグ、「むかしむかし、あるところに……」みたいに耳に馴染みやすいフレーズ。蟲師の冒頭なんかもこんなモノローグで始まっていた気がする。

今回の長編は、天狗虫編、殺戮虫編、とで前後編だったが、このまま、xx編、というのでどんどん続けてほしい。というか、続けられるような作り方。  

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キッチュな天狗虫のデザイン。

フリクリのカンチや、トップ2!のバスターマシンっぽい。コヤマシゲト

 

有栖川カンネ

赤髪の女の子かわいい。すねかわいい。有栖川。有栖川カンネ。キャストみたら名塚だった*9。セクハラ的な話題になるといちいち驚いているのもかわいい。前編で「俺も尻に敷かれてーなー」という宗達さんの発言に顔をしかめたり、「あんたも舌の先くらいは当たっていたんじゃない?」という柴名姉さんの台詞に顔を赤らめていたり。最後にベルの遺品の拳銃を冷めた目で投げ捨てる役割を負っているのも有栖川。

 

 なんだかんだ言って、まだまだ続編ができそうなところ。

野ノ子のキタルキワで、野ノ子を殺す兵士だって、まだ生きている描写あったし。

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*1:再度、4000文字まで書いたらまた消えた

*2:ベルナール・オクタビアス。オクタビアスの坊や。

*3:後編で、龍により死者が蘇る、という噂がブランコにより示唆されるが、本編中で実際に蘇っているのはベルのみである。ということで、龍や龍の歯医者に比べると、死んだ人間が蘇る頻度はあまり高くないのかもしれない

*4:天狗虫が出てきたときに、佐藤修三君が歯科要らずの入ったペンダントを握りしめてつぶやく。キタルキワを自覚した描写。改めて見てると、細かい伏線がいっぱいでなんど見ても楽しい。

*5:ここは、"敗者"かもしれない。歯医者は、敗者と音が重なる。意図的に重ねていると思う

*6:元ネタはNHKの特集らしいが。

*7:と、見せかけて、実はノノに憧れるラルクというトリックがある

*8:どちらも福井裕佳梨

*9:声優つながりで言うと死なずのブランコは松尾スズキ。カモンさんじゃん。