six-9のブログ

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虐殺器官の映画と小説再読

劇場公開の数日前にTwitter前島賢のnoteが流れてきた。本編と同じくらい魅力的なnoteなので一見の価値がある。*1

 

多少Twitterでネタバレを喰らいつつ、見てきた感想と、原作を再読して罪と罰について理解したことをまとめる。

 

以下、ネタバレあります。

原作と映画の違い 

しっかし、原作読んでないとところどころ、分からないんじゃないかなー、と思った。ワシントンでのユージーン・クルップスのセールスレディとか、説明がないとただの女が笑ってるだけじゃん。

 

映画は映画で映像かっこよいしあのキャラが動いて喋ってる! という感動で良かった。原作にあった母親の死が省略されており、また、特徴的な「ぼく」のモノローグがバッサリ省略されているので、原作からの印象とはほとんど変わっている。格好良いアクション映画みたいになっている。

 

母親の死についての話が省略された関係で、クラヴィス罪と罰に関するエピソードがごっそり省略されていた。例えば。

 

レックスが自殺じゃなくて、戦闘適応感情調整と虐殺文法の干渉により錯乱してクラヴィスに射殺されたり、ウィリアムズの結婚生活の危機でカウンセラーに通った話が省略されていたり*2、それになにより、クラヴィスとウィリアムズがドミノ・ピザバドワイザーを飲みながら見ているのが「プライベート・ライアンの冒頭15分」じゃなくフットボールの試合になっている。

ウィリアムズと一緒に呼び出されたペンタゴンでユージーン・クルップスの女が作戦をプレゼンするシーンが省略されていたり、見ているムービーがアフリカの内戦指導者ではなくアレックスを射殺したクラヴィスの主観映像だったりする。

他には、プラハでルーシャス一味に捕まったときに、ルツィアがいなかったり*3、インドでのヒンドゥー・インディア+ジョン・ポールを拘束した後に襲撃されるのが、列車ではなくヘリだったりする。

アフリカ、ヴィクトリア湖畔でジョン・ポールと対峙するシーンでも、ジョン・ポールの書いた演説草稿と虐殺文法のメモ帳と、虐殺文法のエディタが入ったSDカード*4を見つけるように変更になっていた。原作だと虐殺文法のメモに記載されていたリンクに虐殺文法のエディタがあるというネタだった。

 

クライマックスシーンも、ジョン・ポールを生きてアメリカへ連れ戻そうとしてジャングルを歩いているところを特殊検索群i分遣隊のメンバーにジョン・ポールを射殺されてしまう話が、劇場版だと『僕の眉間を撃ち抜いて合衆国に虐殺の文法を播種してよ〜』って懇願する話になっていた。いや、まあ、二時間でまとめるためには仕方ないのはわかるけど、もはや原作のテーマとは別の所に行ってしまったような気がする。原作の魅力である虐殺文法のギミックとジョン・ポールの動機と魅力的なバイオハイテック兵器群で押し切った映画だった。

 

原作小説を罪と罰をキーワードとして読み解く

罪と罰についての考察は「虐殺器官 罪と罰」とかでググればいくらでも出て来るし、例えばGoogle検索上位で以下のリンクなんかが原作ページの抜粋付きでまとめてくれてる。

『虐殺器官』 抑圧者としての母、そして父 - doitakaの日記

 

罪と罰」というのは、ハヤカワ文庫版の帯「現代における罪と罰」から始まったフレーズだと思われる。確かに、クラヴィス・シェパードこと「ぼく」はしきりに母親の延命措置停止、及びそれにより意識されることになったそれまでの職業的殺人の罪と罰を求めてルツィアを探し回ることになる。アレックスの自殺も母親の死と合わせて罪のきっかけになる。

戦闘適応感情調整により殺人の罪の存在有無を疑っている「ぼく」。ルツィアとその後の心理技官との会話に見られるように、戦闘適応感情調整=殺すことを選択したことはまぎれもない「ぼく」の自由選択の結果である。罪はまぎれもなく「ぼく」のものだと認められる。しかし、プラハでのカフカの墓をめぐるデートと、その後のルーシャスの酒場での「ぼく」の母親の死に対する告解により罪を認められた後に、ルーシャスに捕まり、ルツィアを尾行しているスパイであることを知られてしまう。ルツィアを騙していた罪に対する罰を、そしてその罰にかまけてこれまでの「ぼく」の殺人についての罰を求めて、インド、そしてアフリカの虐殺文法の播種地へと「ぼく」は進んでいく。

アフリカ、ヴィクトリア湖畔のゲストハウスの二階で、ついにルツィアと再会する。

しかし、ルツィアにより赦しを得る前にルツィアは射殺され、ルツィアの最後の願いとなってしまった、ジョン・ポールを生きて裁判にかけて真実をアメリカ合衆国民に知らせるという目的のために連行している途中で、射殺されてしまう。完全な空虚とともに、「ぼく」は合衆国へ戻る。

 

レックス、ルツィア、ジョン・ポール。そのすべてが遠い過去の出来事のように思い出された。あのとき覚えたはずの感情、あのとき得たはずの洞察。そのすべてがリアリティを失って、壁に隙間なく貼り付けられたスナップ写真のように、全体のディテールのごく一部へと還元されてゆく。(第五部)

 

追い打ちのように、母親のライフログで、母親の視線=愛情が存在していなかったという事実に打ちのめされる。そして、「ぼく」は自らの罪、そしてジョン・ポールの罪をも背負う覚悟を決める。虐殺文法で語った演説はニュースクリップで繰り返し再生される。

 

作戦が終わって、ぼくはからっぽになったと思いこんでいたけれど、そこが真空ではなかった。真の空虚がぼくを圧倒した。

 そんな空虚にジョン・ポールのメモは実にぴったりと嵌った。もしくは、ジョン・ポールのメモのほうが、ぼくの空虚を見出したのかもしれない。

 (中略)

 ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険なアメリカという火種を虐殺の坩堝に放り込むことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。

 とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。 (エピローグ)

 

やっぱりぼくはゼロ年代の文脈で生きている

 前島賢ゼロ年代の文脈で語る。その事自体は自然なことだと思う。

一読目では、FPS的なモチーフと虐殺文法に代表されるSF的なギミックに翻弄されてしまったが、あらためて「罪と罰」というキーワードを追っかけながら小説の構造を読み解いてゆくと、ゼロ年代小説に特有な現実からの疎外とコミットメントが浮かび上がってきた。匂いのレイヤーでは感じていたことだが、あらためて振り返ってみるとよくわかった。

 僕が西尾維新戯言シリーズ》の新刊を追っかけていた02年頃、本屋では福井晴敏の文庫版『亡国のイージス』が平積みで「よく見ろ日本人、これが戦争だ」なんてCMが流れていた。だが仮にゼロ年代のオタク青春小説が極東情勢や自衛隊の海外派遣といった具体的で同時代的なリアルを「よく見て」しまったら、その瞬間、現実感の希薄さという最も重要なリアリティを喪失してしまう。だがそのリアリティを基盤にし続ける限り、題材は「世界の終わり」や「時間ループ」、「真実の愛」といった抽象的なものに限定され、縮小再生産に陥ってしまう……ゼロ年代の「オタク青春文学」は、そんなアンビバレンツを抱えているように見えた。「リアル・フィクション」の帯とともに刊行されたハヤカワ文庫JAのなかで、桜庭と新城が地方都市を、あるいは桜坂と海猫沢が格闘ゲームやヤンキー文化とローカルな題材を選んだのも、いかに「固有性」と「青春小説としてのリアリティ」を両立させるか、という問いからだったように見える。その問いにまったく別の方法で見事な答えを見せてくれたのが『虐殺器官』だった。

 世界には戦場という究極の現実があり、しかしそこから疎外された僕らは虚構と戯れるしかない……伊藤計劃が『虐殺器官』で否定したのは、「オタクの青春文学」の書き手、読み手たちがどこかで共有していた、この素朴な二項対立だったように思う。痛みを認識はしても痛さは感じなくする認知科学的処理、人間の倫理に関する脳機能を停止させる医学処置。そのようなSF的な――けれど十分に現実的なガジェットを用意することで、伊藤計劃は、戦場からもリアリティを奪い去って見せた。そうして生まれたのが、前述の、まったく軍事冒険SFの主人公らしからぬクラヴィスだ。傷ついても痛みは感じず、良心をあらかじめ麻痺させられ、現実の戦場に立っているというのに、まるでFPSゲームのプレイヤー程度の現実感しか得られない。ライトノベルの主人公のように自意識過剰な、戦場ですら大人になれない青年。そんな主人公の目を通じて語ることで、『虐殺器官』は、9・11以後の世界像を克明に描く軍事冒険小説のリアルと、現代的な青春小説における不確かなリアリティを両立させることを可能にしたのだ。そんな小説が可能だとは、僕は本書を読むまで、まったく想定していなかった。

ボンクラ青春SFとしての『虐殺器官』 ~以後とか以前とか最初に言い出したのは誰なのかしら?~(前島賢)|前島賢|note

 

 

 

 

*1:リボルバー・オセロットカメオ出演については気づかなかった。ググって引っかかった以下のリンクを参照して気づいた。インドでのネタか。東北大学SF研wiki - 虐殺器官

*2:これがあるのとないのとでは、ヴィクトリア湖畔でウィリアムズと撃ち合いになったときの「(ジョン・ポールとルツィアを殺すのは)モニータと赤ん坊のためだ!」というウィリアムズの台詞の重みが変わってくる。

*3:ラヴィス罪と罰に深く関わるはずなのだが

*4:これはゼリー剤を巻いて飲み込むことで持ち出したようだ。序盤の東ヨーロッパで敵兵に偽装するときに使った手段と同じように。