six-9のブログ

おっさんのブログ。エロゲとかアニメとか。

notいきいきな研究室

「notいきいき」な研究室について | いきいき研究室増産プロジェクト
僕は学部四年から修士課程に上がる際に研究室を移った。また、最近後輩の研究室選びについての意見を求められる機会が何度かあった*1。このため、「どんな研究室が良いのか?」について考えていたので参考になった。

上記ブログでは20個の"notいきいきな研究室の症状"があげられている。
去年の研究室では一つ当てはまることがあった*2。その時は「研究室ってこんなもんなのかなー」と嫌な思いをしながら過ごしていたのだが、今の研究室に移って初めてそれが良くないことだと気づいた。まあ、研究室の悪い意味での閉鎖性の発露なのだろう。

加えて、個人的に以下の症状がある研究室はすごく嫌だと思う。

  • 学生は教員の機嫌をとらなければならない。
  • 教員に聞いてはいけない質問がたくさんある。
  • 教員同士が悪口を言い合っている。
  • 教員が「去年の学生はよかったけど、今年は・・・」とぼやく。毎年。
  • 学生同士が悪い意味でのライバル関係にあり、貶めあっている。
  • メンバーが疲れ果てていて、向精神薬や、睡眠薬等を使用しなければいけない状況にある。

研究室スタッフには気をつけてもらいたい。

*1:自分の研究室に見学に来た後輩や、TA中に質問に来た後輩に相談された

*2:今はどうなのか知らないが……

課程博士のメリット・デメリット

ここ二週間ほど就活もせず、ドクターに行こうかどうか、うだうだと考えていた。大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアルや、「博士号」の使い方2などを読んだりした。どちらの本も、「就職するなら修士のときが一番」と語る。どうしても博士になると機会は減る。「なんとなくでの博士課程進学は絶対にやめろ」と書いてあった。まあそのとおり。

大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル

大学院生、ポストドクターのための就職活動マニュアル

「博士号」の使い方2

「博士号」の使い方2

これを踏まえた上で、僕は博士後期課程に進学して良いのだろうか? まずメリット・デメリットを列挙してみないと始まらないので、とりあえず。

博士後期課程修了により得られるもの

  • 一つの研究を主体的に計画・実行・評価する経験
  • 国際的な研究ライセンスとしてのPh.D.

博士後期課程進学により失うもの、または就職して得られる物

    • 「新卒」という一番の売り手時期
    • 三年間の社会経験(ただでさえ、修士課程で二年のハンディを負っているのに、だ)。これは転職などの次のキャリアにもつながるステップにもなる。
    • 効率的な時間・仕事管理(どうしても学生だと自由な時間が多すぎて難しい)

博士後期課程進学に対して二の足を踏む理由はさらに

    • 経済的な問題。(3年間の学生生活費用+学費)
    • 限定的な就職先
    • 企業が博士人材に求める能力が高すぎること。例えば、高いリーダーシップなど

の三点がある。一方、就職することに対して二の足を踏む理由としては

  • 企業に依存した人生設計になってしまいそう
  • インターンシップで地方の工場勤務の実態を体感して、外部の人材との交流が難しそうだったこと(キャリアアップを考えると、大学内の方がいろいろな人が集まっているように感じられた)

さらに、博士後期課程に進学していいかな、と思う理由としては

  • Ph.D.を取るなら今が一番良い(社会人ドクターはリスクが大きい)
  • 幸いなことに、僕の学科ではPh.D.をほとんどの人が3年で取っている*1
  • 個人的に研究が嫌いではない

さて、どうしたものか。

*1:これは各人の研究テーマにも依存するから、一概には言えないが

東北大学イノベーションフェア2010

http://www.rpip.tohoku.ac.jp/inv2010/index.htm

出展者として参加してきました。僕はオマケとして付いて行っただけですが、ブースにも立たせてもらえて*1、企業の人たちの目線を知ることができた。企業の方々からは「それで何ができるの?」「何がすごいの?」という質問がおおかった。
ドクターの人たちが出展者として来ているブースも多かった。「学生ですが……」と恐縮していたが、彼らはかえって実験の辛いところとか、装置の都合とかをフランクに話してくれて話が盛り上がった。
非常に面白かった。

*1:説明がグダグダすぎて途中退場だったが。。。

Omegaの視界プレイ雑感-気紛れな●●(淫聞 or 韻文)

Caution! ネタバレあるかもしれないので気をつけてください。

どうやらポストひぐらしとか言われていたらしいOmegaの視界が完結した、とのポップをアキバのとらで発見。なんとなく買ってみた。
結果から言うと、全くポストひぐらしにはなりえない*1。新しい! と思う点はなかった。強いて挙げるなら、●を利用した多重表現だが、個人的には表現として不親切過ぎて評価できない。
さて、いくつか重複するが個人的な減点対象は以下のとおり。
主観的な独白が空転してテーマが直截に語られること無く進行するため、非常に読み解きづらい。さらに、猫箱、つまりシュレーディンガーの猫を引用して、観測されるまでは決定されない、というのもテーマにしているようだが、ストーリーにそれが組み込まれていない*2。●を利用した表記により表現を試みているのだろうが、今ひとつである。また、テクスト自体も〜的な(cf. ノベルゲーム的な)といった安易かつ未熟な表現が見られた。個人的にかなりゲンナリ。
内容は西尾維新戯言シリーズに非常に近いと感じた。掛言葉を利用した意味の多重化や、異能バトル、(自称)巻き込まれ型の主人公、などなど。悪く言えば劣化コピーなのよね。
クライマックス*3では、♂と♀の違い、性差がテーマとなる*4。 しかし、それをテーマにするなら♂と♀の中間種たる西石音(きぃ)にクローズアップすべきだと思う。生死不明って、もうテーマぶん投げたようなもんだろ……そして明らかに真言と宮さんの対比たるミルハ兄妹の兄にはまったくスポットが当たらんし。エピローグで「永遠に解り合えないけれど、寄り添って生きていくことができる」っまこくんに言わせてるけど、え? なんでその結論になるの? と置いて行かれるばかり。なぜか冬夏とくっつくが、どうして姫様でもなく克枝でもなく冬夏なのか、さっぱり説明が無い。ストーリーテリングとして、完全に骨折している気がする。

しかし、である。
綺麗な散文としての表現を捨てた代わりに、韻文としてのリズム感が全体として現れている。まさに「感得」するような、独特のリズムである*5。掛言葉の多用も韻文的である。それらにより、まるで、萩原朔太郎の詩のように、破壊的な言葉の流れを作っている。作中で彼女らが別離のあいさつに使用する「Omegaの瞳に祝福あれ」という言葉も、意味を考えるのではなく、意図することを「感得する」ものなのだろうか。

死んでみたまへ、屍蝋の光る指先から、お前の霊がよろよろとして昇発する。その時お前は、ほんたうにおめが(、、、)の青白い瞳(め)を見ることができる。それがお前の、ほんたうの人格であつた。

ひとが猫のやうに見える。
『Omega の瞳』http://homepage3.nifty.com/sakutarou/read/cho_ruby/choo_yumemuindex.htm

(ま、つまりよーわからん作品でした、ということ。)

(追記)
あんまり良いレビューサイトに当たらなかったけれど、ジグザグパラドックス Omegaの視界 雑感想はけっこう良かった。解題については、成程。宮も良いけど、狩屋も良いよ。

*1:これで後からヒットしたら恥ずかしいが……同人ノベルゲームだったらひまわりの方が何倍もよく出来ている。

*2:エピローグ(Game0ノカイシ)はやや強引にすぎる感がある。

*3:というか、初めから再帰的にたちあらわれてはいるのだが……

*4:Y(染色体)の衝動、とか頻繁に出てくるタームだし。

*5:まるで、ドグラ・マグラのチャカポコ節のような。個人的に。

論文のためのおすすめリンク集

論文のためのおすすめリンク集 - 慶應通信! r.saitoの研究室

  • ラテン語はたまに出てくると戸惑ってしまうので便利。vice versaは覚えたけど、bona videはまだ覚えてない。
  • アウトプットするつもりでインプットする

 論文を書くつもりで、論文を読む。まだ論文を書いたことが無いのでよくわからない*1。けれど、大事なのだろう、とは知っているし、前の指導教官からも言われたことがある。まずは、一報、書いてみることから始めよう。

*1:卒論や修士論文、博士論文はいわゆる学術誌に掲載される"論文"とは毛色が異なる気がするので僕の経験からは除外した。

『暗い部屋』読後メモ-非道徳な題材を正面から飾らずに描写する誠実さ

駄目だわからん。だけど感動した。
amazon:暗い部屋*1
2009年7月に発売中止となった、(18禁ビジュアルノベルライターの瀬戸口廉也と同一と噂される)唐辺葉介の小説をノベルゲーム化したもの。プレイ前は「小説の方が良いなあ」などと思っていたのだが、ノベルゲームとしての音楽・背景といった演出が思いのほか良かったので、今はノベルゲームとして形になって良かったのかな、と思っている。
内容は、CARNIVAL小説版あとがきの、鶏が自分の卵を狂喜して食べる「あの狭い飼育小屋みたいな世界」の話。基本的にいつもの唐辺葉介(=瀬戸口廉也)だが、その純度が99.9999%ほど。読後の感想が「救いが無い」となるのもいつもどおり。みんな一生懸命なのに、みんな不幸になる。近親相姦をモチーフとしている点はCARNIVAL(ゲーム版+小説版)に似ている。ただし、今作はこれまでの作品とは異なり、カタルシスがあまり感じられないように思う。それは供述という形をとっているため、唐辺葉介に独特の現在形での語りが全くなく、どこか他人事のような白々しさが文章全体から漂っているためだろう。その分、しかしながら、より精緻に、真摯に、真正面から子供が子供を生み出す不幸について、つまり親が子供を食い物にする悲劇について誠実に描いていると感じた。唐辺葉介作品の登場人物たちはよく、生きることにたいして誠実さ、とか真面目さ、という事について語る。生きづらくなるほど真摯に考える。それはきっと作者の生きることに対する真摯さの投影であるのだろう。その真摯さが好ましく、また真摯に生きることと幸せになることの両立について、その可能性にどの作品でも迫っているような気がして、僕は毎回彼の作品を読んでいる。今作は、前述したとおり、その可能性を極限まで詰めた作品のような気がする。
しかしながら、(まだ少なくとも僕には)今作のテーマはこんな簡単に一言で言えない。なんとなく親とは何か? 子供とは何か? という話をしたいのだろう、と感じるのだが、具体的にどのような問題提起をしているのか、よくわからない。
このよくわからなさはつまるところ面白さであり、再読への情熱がここから生まれる。少なくともこれから読み直すに耐えうるだけの強度を持った作品であることは間違いない。

以下読後メモ。

  • 最近SWAN SONGを再プレイした僕の脳内では「精太郎と季衣子が、分かり合えたのか、分かり合えなくとも、同じ思い、方向を向くことができたのだろうか?」という疑問が渦巻いている。言い換えると、マリア像を立て直した司と柚香のようなカタルシスを、譲治の自殺後の精太郎と季衣子にも見ることができるのだろうか? ということだ。マスクをつけて立ち上がった季衣子は、確かにかつての精太郎と同じ側に来てしまった。しかし、その時点では、すでに精太郎は寿子とすごした部屋の窓を壊し、言葉を回復し、「負けてたまるか」という気持ちになってしまっている。やはり、二人の心は通い合うことはなかったのだろう。それは、最終章において二人が分離されて供述を取られていることからも読み取れる。しかし、二人が川べりで(かつて買い物帰りに焼き鳥を買食いしながら歩いた川べりで)風を感じるシーンからは、二人ともがわかりあえずとも、つまり同じ認識を持てずとも、共に心地良い、と感じることが出来ていたのではないか、と一抹の期待をいだいてしまうのである。
  • 暗い部屋の元ネタはカメラ・オブスクラ*2で、ピンホールカメラ、つまり歪みなく事物を観察する装置、という含意もあるのだろう。
  • 表紙の少女は、読んでいる途中では季衣子かと思っていたが、読後考えてみるとどうにも寿子/耀子の双子姉妹を意図しているようだ。精太郎に絡み付いている無数の手は、女性の手だ。精太郎の体中を固定している無数の手は、彼に父/夫/息子の無数の役割を求める寿子の願望であり、不幸な甥/自分に感謝する被害者の役割を押し付ける耀子の欲望である。少女の腕に抱かれている人形はまさに精太郎であり、目隠しをされる、そのリボンが少女の腕に巻かれている、まち針をさされている、というのは精太郎を制御しようとする少女の意図の表出である。

*1:Amazonへのリンクを貼りましたが、公式通販http://www.ringo-electron.com/で買うと『PSYCHE』の元ネタになった30p程の短編小説が付いてくるので、公式通販の方をおすすめします。

*2:カメラ・オブスクラ - Wikipedia