six-9のブログ

おっさんのブログ。エロゲとかアニメとか。

東北大学イノベーションフェア2010

http://www.rpip.tohoku.ac.jp/inv2010/index.htm

出展者として参加してきました。僕はオマケとして付いて行っただけですが、ブースにも立たせてもらえて*1、企業の人たちの目線を知ることができた。企業の方々からは「それで何ができるの?」「何がすごいの?」という質問がおおかった。
ドクターの人たちが出展者として来ているブースも多かった。「学生ですが……」と恐縮していたが、彼らはかえって実験の辛いところとか、装置の都合とかをフランクに話してくれて話が盛り上がった。
非常に面白かった。

*1:説明がグダグダすぎて途中退場だったが。。。

Omegaの視界プレイ雑感-気紛れな●●(淫聞 or 韻文)

Caution! ネタバレあるかもしれないので気をつけてください。

どうやらポストひぐらしとか言われていたらしいOmegaの視界が完結した、とのポップをアキバのとらで発見。なんとなく買ってみた。
結果から言うと、全くポストひぐらしにはなりえない*1。新しい! と思う点はなかった。強いて挙げるなら、●を利用した多重表現だが、個人的には表現として不親切過ぎて評価できない。
さて、いくつか重複するが個人的な減点対象は以下のとおり。
主観的な独白が空転してテーマが直截に語られること無く進行するため、非常に読み解きづらい。さらに、猫箱、つまりシュレーディンガーの猫を引用して、観測されるまでは決定されない、というのもテーマにしているようだが、ストーリーにそれが組み込まれていない*2。●を利用した表記により表現を試みているのだろうが、今ひとつである。また、テクスト自体も〜的な(cf. ノベルゲーム的な)といった安易かつ未熟な表現が見られた。個人的にかなりゲンナリ。
内容は西尾維新戯言シリーズに非常に近いと感じた。掛言葉を利用した意味の多重化や、異能バトル、(自称)巻き込まれ型の主人公、などなど。悪く言えば劣化コピーなのよね。
クライマックス*3では、♂と♀の違い、性差がテーマとなる*4。 しかし、それをテーマにするなら♂と♀の中間種たる西石音(きぃ)にクローズアップすべきだと思う。生死不明って、もうテーマぶん投げたようなもんだろ……そして明らかに真言と宮さんの対比たるミルハ兄妹の兄にはまったくスポットが当たらんし。エピローグで「永遠に解り合えないけれど、寄り添って生きていくことができる」っまこくんに言わせてるけど、え? なんでその結論になるの? と置いて行かれるばかり。なぜか冬夏とくっつくが、どうして姫様でもなく克枝でもなく冬夏なのか、さっぱり説明が無い。ストーリーテリングとして、完全に骨折している気がする。

しかし、である。
綺麗な散文としての表現を捨てた代わりに、韻文としてのリズム感が全体として現れている。まさに「感得」するような、独特のリズムである*5。掛言葉の多用も韻文的である。それらにより、まるで、萩原朔太郎の詩のように、破壊的な言葉の流れを作っている。作中で彼女らが別離のあいさつに使用する「Omegaの瞳に祝福あれ」という言葉も、意味を考えるのではなく、意図することを「感得する」ものなのだろうか。

死んでみたまへ、屍蝋の光る指先から、お前の霊がよろよろとして昇発する。その時お前は、ほんたうにおめが(、、、)の青白い瞳(め)を見ることができる。それがお前の、ほんたうの人格であつた。

ひとが猫のやうに見える。
『Omega の瞳』http://homepage3.nifty.com/sakutarou/read/cho_ruby/choo_yumemuindex.htm

(ま、つまりよーわからん作品でした、ということ。)

(追記)
あんまり良いレビューサイトに当たらなかったけれど、ジグザグパラドックス Omegaの視界 雑感想はけっこう良かった。解題については、成程。宮も良いけど、狩屋も良いよ。

*1:これで後からヒットしたら恥ずかしいが……同人ノベルゲームだったらひまわりの方が何倍もよく出来ている。

*2:エピローグ(Game0ノカイシ)はやや強引にすぎる感がある。

*3:というか、初めから再帰的にたちあらわれてはいるのだが……

*4:Y(染色体)の衝動、とか頻繁に出てくるタームだし。

*5:まるで、ドグラ・マグラのチャカポコ節のような。個人的に。

論文のためのおすすめリンク集

論文のためのおすすめリンク集 - 慶應通信! r.saitoの研究室

  • ラテン語はたまに出てくると戸惑ってしまうので便利。vice versaは覚えたけど、bona videはまだ覚えてない。
  • アウトプットするつもりでインプットする

 論文を書くつもりで、論文を読む。まだ論文を書いたことが無いのでよくわからない*1。けれど、大事なのだろう、とは知っているし、前の指導教官からも言われたことがある。まずは、一報、書いてみることから始めよう。

*1:卒論や修士論文、博士論文はいわゆる学術誌に掲載される"論文"とは毛色が異なる気がするので僕の経験からは除外した。

『暗い部屋』読後メモ-非道徳な題材を正面から飾らずに描写する誠実さ

駄目だわからん。だけど感動した。
amazon:暗い部屋*1
2009年7月に発売中止となった、(18禁ビジュアルノベルライターの瀬戸口廉也と同一と噂される)唐辺葉介の小説をノベルゲーム化したもの。プレイ前は「小説の方が良いなあ」などと思っていたのだが、ノベルゲームとしての音楽・背景といった演出が思いのほか良かったので、今はノベルゲームとして形になって良かったのかな、と思っている。
内容は、CARNIVAL小説版あとがきの、鶏が自分の卵を狂喜して食べる「あの狭い飼育小屋みたいな世界」の話。基本的にいつもの唐辺葉介(=瀬戸口廉也)だが、その純度が99.9999%ほど。読後の感想が「救いが無い」となるのもいつもどおり。みんな一生懸命なのに、みんな不幸になる。近親相姦をモチーフとしている点はCARNIVAL(ゲーム版+小説版)に似ている。ただし、今作はこれまでの作品とは異なり、カタルシスがあまり感じられないように思う。それは供述という形をとっているため、唐辺葉介に独特の現在形での語りが全くなく、どこか他人事のような白々しさが文章全体から漂っているためだろう。その分、しかしながら、より精緻に、真摯に、真正面から子供が子供を生み出す不幸について、つまり親が子供を食い物にする悲劇について誠実に描いていると感じた。唐辺葉介作品の登場人物たちはよく、生きることにたいして誠実さ、とか真面目さ、という事について語る。生きづらくなるほど真摯に考える。それはきっと作者の生きることに対する真摯さの投影であるのだろう。その真摯さが好ましく、また真摯に生きることと幸せになることの両立について、その可能性にどの作品でも迫っているような気がして、僕は毎回彼の作品を読んでいる。今作は、前述したとおり、その可能性を極限まで詰めた作品のような気がする。
しかしながら、(まだ少なくとも僕には)今作のテーマはこんな簡単に一言で言えない。なんとなく親とは何か? 子供とは何か? という話をしたいのだろう、と感じるのだが、具体的にどのような問題提起をしているのか、よくわからない。
このよくわからなさはつまるところ面白さであり、再読への情熱がここから生まれる。少なくともこれから読み直すに耐えうるだけの強度を持った作品であることは間違いない。

以下読後メモ。

  • 最近SWAN SONGを再プレイした僕の脳内では「精太郎と季衣子が、分かり合えたのか、分かり合えなくとも、同じ思い、方向を向くことができたのだろうか?」という疑問が渦巻いている。言い換えると、マリア像を立て直した司と柚香のようなカタルシスを、譲治の自殺後の精太郎と季衣子にも見ることができるのだろうか? ということだ。マスクをつけて立ち上がった季衣子は、確かにかつての精太郎と同じ側に来てしまった。しかし、その時点では、すでに精太郎は寿子とすごした部屋の窓を壊し、言葉を回復し、「負けてたまるか」という気持ちになってしまっている。やはり、二人の心は通い合うことはなかったのだろう。それは、最終章において二人が分離されて供述を取られていることからも読み取れる。しかし、二人が川べりで(かつて買い物帰りに焼き鳥を買食いしながら歩いた川べりで)風を感じるシーンからは、二人ともがわかりあえずとも、つまり同じ認識を持てずとも、共に心地良い、と感じることが出来ていたのではないか、と一抹の期待をいだいてしまうのである。
  • 暗い部屋の元ネタはカメラ・オブスクラ*2で、ピンホールカメラ、つまり歪みなく事物を観察する装置、という含意もあるのだろう。
  • 表紙の少女は、読んでいる途中では季衣子かと思っていたが、読後考えてみるとどうにも寿子/耀子の双子姉妹を意図しているようだ。精太郎に絡み付いている無数の手は、女性の手だ。精太郎の体中を固定している無数の手は、彼に父/夫/息子の無数の役割を求める寿子の願望であり、不幸な甥/自分に感謝する被害者の役割を押し付ける耀子の欲望である。少女の腕に抱かれている人形はまさに精太郎であり、目隠しをされる、そのリボンが少女の腕に巻かれている、まち針をさされている、というのは精太郎を制御しようとする少女の意図の表出である。

*1:Amazonへのリンクを貼りましたが、公式通販http://www.ringo-electron.com/で買うと『PSYCHE』の元ネタになった30p程の短編小説が付いてくるので、公式通販の方をおすすめします。

*2:カメラ・オブスクラ - Wikipedia

大学研究室の歩き方

大学研究室の歩き方講座 | いきいき研究室増産プロジェクト

対象

  • 研究室に配属された新4回生
  • 教員とのやりとりに悩んでいる院生
  • 学生とのやりとりに悩んでいる教員


どのスキットも研究室に所属している人間ならあるあるwwwだと思う.参考になった.基本的に「自分で考える事の重要性」を認識すべきということなのだろう.

ちなみに,これは先週のボスとの話合いでの俺.そしてB4の頃の俺.だって本当にどうしたらいいかわかんないんだもん.



(良い例)とされているのはこれ.結局Yes/No Questionの形で質問を組み立てられるようにしろ,ということだと思う.

あなたとあなたの研究

新しい研究分野名で適当に検索を掛けていたらこんなの拾った。どこかで聞いたような耳の痛い話と聞いたことも無い耳のとても痛い話。最近「研究成果なんて運だ」と言う癖がついていたのでドキッとした。

http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20080726
http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20080727

たとえばアインシュタインは12歳から14歳のころに「光の速度で光を見たらどう見えるだろう?」と自問しました。またアインシュタインは、電磁気理論によって定常的な極大値を得ることができないことを知っていました。しかし光速の早さで移動すれば極大値に見えるはずです。彼は12歳から14歳のころにその矛盾に気づき、すべてが正しいわけではないこと、光速には何か特殊性があることを発見しました。アインシュタインが最終的に特殊相対性理論を発見したのは運だったでしょうか? アインシュタインは早くから問題の一部を考えることで、ピースをいくつか埋めていました。つまり運は十分条件ではあっても必要条件ではないのです。

多くの人々は、最高の労働環境が重要だと考えますが、そうではないのです。そうではないと断言する理由は、人はしばしば、労働環境が悪いときに最も生産的になるからです。ケンブリッジ物理学研究所の黄金時代は、単なる小屋だった時でした。そのときケンブリッジ物理学研究所の人々は最高の物理学をしたのです。
私個人の話にしましょう。ベル研究所は二進数のプログラムをするのに通常、必要とされる人数を私に割り当てるつもりがないことが、早くから私には明らかでした。ベル研にそのつもりは全然ありませんでした。当時はそれが普通だったのです。私は西海岸に行き、飛行機会社で仕事することも問題なくできたのですが、ベル研の人々は刺激的で、向こうの飛行機会社の人々はそうではありませんでした。私は長いこと「行きたいのか? そうではないのか?」と考え、2つのありうる未来のどちらが良いのか悩みました。とうとう私は自分に言いました。「ハミング、おまえはコンピュータなら何でもできると思ってるよな。じゃあプログラムを書かせることだってできるんじゃないか?」最初に私には欠点と思えたものが、非常に早い時期に私を自動プログラミングへと後押ししてくれたのです。欠点と見えたものが、視点を変えるとしばしば最高の財産となります。ですが「やれやれ、十分なプログラマもいないのにどうしてすごいプログラミングができるっていうんだい?」としか考えなかったら、そのようには考えられなかったでしょう。

ボーデが言ったことは「知識や生産性は複利に似ている」ということでした。ほとんど同じ能力の人が2人いて、一方はもう一方より10パーセント増しで働いているとします。後者は前者の二倍以上の生産性があるでしょう。知れば知るほど、さらに学びます。学べば学ぶほど、もっと行動できます。行動すればするほど、チャンスが増えます。それは複利に似ています。比率を言いたくはありませんが、非常に高い比率です。まったく同じ能力の2人がいて、一方が毎日1時間ずつ多く考え続けたら、生涯ではものすごく生産的になるでしょう。

お話ししたい別の特徴があります。その特徴とはあいまいさです。その重要性を認識するのにしばらく時間がかかりました。多くの人は、何かが真実である/真実ではないと信じることを好みます。偉大な科学者はあいまいさに関して非常に寛容です。彼らは理論を、研究を先に進めるために十分であると信じています。ですが間違いや欠点に気づく程度には理論を疑うので、先に進んでそれに代わる新しい理論を作り出すのです。理論を盲信してしまったら決して欠点に気付かないでしょう。疑いすぎたら研究を始められないでしょう。微妙なバランスが必要です。ですがほとんどの偉大な科学者は自分たちの理論が正しい理由をよく認識しています。その一方、自分たちの理論の、完全に現実に一致するわけではないわずかな不具合にもちゃんと気づき、それを忘れません。

この話題の最後に、みなさんに思い出していただきたい言葉があります。「ダメな人は自分の道具を責める。できる人は与えられた道具で仕事をし、最善の解決をする」と。

多くの人は本を書くためにサバティカルを取るのに、締め切りまでに書き終えることができません。そこで私はサバティカルに行く前に、本を仕上げるつもりだと友達みんなに言いました。そう、私は本を完成させるでしょう。でなければ恥ずかしくて帰れません。私は自分をそう仕向けるために自尊心を利用しました。何かに関して大言壮語すれば、仕事せざるを得なくなるでしょう。私は罠にかかったネズミのように、しばしば驚くほどの能力を発揮しました。私はどうするか何も考えていないのに「ええ、火曜日には答えを持っていきます」と言うことで得をすることがわかりました。日曜日の夜になるころには、火曜日までに答えを届けるため本気で考えます。しばしばプライドを危険にさらし、時々は失敗しましたが、罠にかかったネズミのようにと述べたとおり、しばしば私が良い仕事をしたことに驚きます。みなさんは自分をやる気にさせる方法を学ぶ必要があると思います。

原文はこちら→You and Your Research

リンク元はここ→現在関心のあること
このページには以下のようなことも書いてあった。今の自分には無い問題意識だったので新鮮。個人的にはApplied Physics LettersとかNatureとかが冊子媒体で研究室にあれば暇なときにめくれて良いと思う。あ、今の研究室には「応用物理」が届くのでその点は嬉しい。

大学院生になったら,アカデミックな研究者を目指すのであれば,以下のプレプリントサーバーに投稿される原稿を毎日チェックすべきです.世界中のどこからでも研究の動向がチェックできますし,何が問題となっているかを把握し,ここから研究テーマについてのヒントを掴むことができるでしょう.