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six-9のブログ

サラリーマンのブログ。エロゲとかアニメとか。

龍の歯医者素晴らしい。ありがとう野ノ子。僕の龍の歯医者-前編・後編-

アニメ 読書感想

龍の歯医者の感想を二時間位かけてまとめていたら、途中で下書きが消えた。*1

やるきを無くしたので、わかった部分だけ書く。

 おそらく後で追記する。

 

(2017/03/12: 追記した) 

龍の歯医者、鶴巻+榎戸コンビのスタイリッシュさで楽しく視聴できた。

ここ一週間、毎晩見返して、さらに寝ながら睡眠学習で流している。どこを見ても面白い。

鶴巻と榎戸の似非スタイリッシュ(フリクリ、トップ2!)が好きなので、めちゃくちゃ楽しかった。龍と龍の歯医者っていう設定と、神々しくもある龍の描写は舞城王太郎っぽい。殺戮虫が兵士をぶっ殺しまくるシーンは、音楽含め、シン・ゴジラを彷彿とさせる。

 

 

 

 ストーリー順に印象的なシーンを抜き出してみる。

前編・天狗虫編

短編時代(日本アニメーター見本市)をベースにした筋立てで、野ノ子の龍の歯医者の試験については、ほぼそのまま流用されている。ただし、日本アニメーター見本市では、あくまで野ノ子と龍の歯医者の描写に終始していたのに対し、天狗虫編では、ベル*2という主人公を迎えて、あくまでベルから見た龍の歯医者とキタルキワの説明という形になっている。

柴名姉さんと佐藤修三君を題材に、龍の歯医者の宿命とキタルキワを描いている。

龍の歯と歯医者について考えるのに役立つシーンを書いてみる。 

 

野ノ子とベルが。歯石虫を触るシーン。笑う野ノ子と、泣き出すベル。この先、幾度となく描かれるベルと野ノ子の対比。後編の、ベルの選択にもつながる伏線。龍と龍の歯と、ベルの蘇りについて読み解く上で重要な台詞でもある*3

ベルの台詞にある、ベルの気づきにある通り。死者は、正確には死者の思いは龍の歯に還る。遺品は死者の落とし物。ただし、ベルはこの時点では、自らが蘇った意味には気づいていない。「何か意味があると良いな。僕がここにいることにも。」という台詞の通り。

騒がしいでしょ。この菌に触れると、歯の中の楽しそうな声が聞こえてくるんだよね。(野ノ子)

 

これって、死んだ人の声でしょ。たくさんの死んだ人たちが、この龍の歯の中を通り過ぎているんだ。さっきの落とし物は、遺品なんだよ。

野ノ子の国の人だけじゃなく、僕の国の人も。

いろんな、死んでしまった人たちの思いが、通ってゆくときに、重いのか、いらないからなのかわからないけれど、あの世へ持っていけなかったものを捨ててゆくんだ。

龍って一体何なんだ? 死んだ父さんと母さんの思いも、この歯の中にあるのかな。何か意味があると良いな。僕がここにいることにも。(ベル)

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日本アニメーター見本市時代からの名残で、野ノ子の龍の歯医者になる試験の描写もある。龍の歯から戻ってくる前に、キタルキワとして、地上で金髪の兵士に殺される姿を幻視する。

死ぬんだね、私。でも私、なんでかわからないけれど、わかっている気がする。 私が何をするべきか。(野ノ子)

 

 連中は皆、竜の歯になった。自分の運命を受け入れずに抗ったんだろう。勇敢だ。だが龍は運命に抗うことを許さない。(悟堂)

 

龍の歯医者とは、キタルキワを受け入れたものとして描かれるが、後編・殺戮虫編を見ると、単にキタルキワを受け入れただけではなく、人生をかけて他者への献身をすること、利他的になれることを覚悟したものとも取れる。佐藤修三くんの最後も、歯科要らずごと捕食されて、自らの命と引き換えに天狗虫を退治するのだ。

 仕事が忙しくて、殆ど忘れていたぜ。(佐藤修三)*4

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後編・殺戮虫編

ベルと野ノ子(に代表される龍の歯医者)との相違が繰り返し描かれる。

ベルは歯医者ではない。前編・天狗虫編で描かれた歯医者の在り方とは相容れないということが、ベルと野ノ子とのやりとりで繰り返し示される。

そして、ベルがやるべきことを自覚し、龍の上で龍の歯に還る。

以下、印象的なシーンを抜き出してみる。

 

最初にベルの地上での惨めな最後と、その後悔が描かれる。ブランコとの確執も。 

悔しかったことも、惨めだったことも、全部覚えてるのに、それなのに実感無いんだ。(ベル)

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地上での一夜を過ごした後、野ノ子に同道することをベルは拒む。

一緒に行かないってなんで? やっぱり戦争に手を貸すのは嫌?(野ノ子)

違う。そんなことじゃない。僕が嫌なのは、野ノ子たちがキタルキワを知っていることだ。知っていて何もしないことだ。死ぬことを受け入れていることだ。(ベル)

誰だって死ぬよ。(野ノ子)

なぜもっと生きようとしてくれないんだ! 僕は野ノ子が死ぬところを見るのは嫌なんだよ。(ベル)

ベルはどうするの? (野ノ子)

わからない。でも、龍の歯医者にはなれない。(ベル) 

 

ブランコの襲撃、それによる野ノ子の身を案じて、なし崩し的に、ベルと野ノ子は共に龍の上に戻る。

柴名の絶望という感情が産んだ殺戮虫も、虫歯の一種であることを看破し、野ノ子に治療に戻るように諭すベル。ここで、ベルも「やるべきこと、龍の力により蘇った意味」を自覚しているようにみえる。

僕は、やっぱり、龍の歯医者にはなれない。僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ。行って。ノノコ。(ベル)

 

龍の上でのベルとブランコとの対峙。そして決着。

さすがの僕もいまならそれを知ってる。でも君は知っているのか。君が銃を突きつけられながら、殺意を抑えておける人間じゃないってことを。(ベル)

それはそうだ。歯医者*5よ、死ね!(ブランコ)

 

 末期のベルのモノローグ。龍の歯、蘇りについての解説にもなっている。前編・天狗虫編の歯石虫のシーンと合わせて見るとよく分かる。

虫歯菌が人の思いの残り滓だとすると、何かに感動したときの気持ちも、やはり龍の虫歯の原因になるのだろうか。(ベル)

  

結局、ベルが"もう一度生かされた"理由はブランコによる不名誉な死への悔悟と、その整理のためだったのだと思う。感情の整理を手伝うのが、龍の歯医者だ。野ノ子により、ベルは感情の澱を払われて、龍の歯の中に還る。

龍の下で死んで、竜の歯から出てきた僕は、龍の上で死んで、竜の歯に還る。この奇妙な循環の中で僕は、何かの役割を果たせたんだろうか。その答えについては、もはや僕には必要じゃないかもしれない。それでも、今ならわかる気がする。龍がどうして僕を選んだのかはわからないけど、僕がもう一度生かされた、その理由なら。

君に出会えて、本当に良かった。ありがとう野ノ子。僕の龍の歯医者。(ベル)

 

歯医者とは、感情の整理を手伝ってくれる存在。その特徴として限りない利他心と献身性があるのだと思う。龍の歯から出てきたベルを助ける野ノ子。ベルを小澤に引き渡すのを拒否する悟堂も、利他心のあらわれとして読める。自らの犠牲と引き換えに天狗虫を退治した佐藤修三くん然り。柴名姉さんさえ、歯医者がこれ以上犠牲になることを厭うて龍の歯を奪い、ブランコと協力して龍を滅ぼそうとした。天狗虫への執着さえ、タケモトさんへの好意が元になっている。その意味で、柴名もまた龍の歯医者と言える。

シルシを見たろう。どんな姿になろうと、お前は今でも歯医者だよ。(悟堂)

 

参考になったブログとか。

舞城王太郎視点からの龍の歯医者感想ブログ

確かに馬の描写は山ん中の獅見朋成雄っぽい。龍が人間の感情を表している、とか、歯医者は感情の整理を手伝う存在、なんかはこのブログから教えてもらった。*6

 虫歯菌の、特にヒカリ虫が『好き好き大好き超愛してる。』に出てくるASMAを思い出させるし、柴名の「生きている以上、いつも何事かを決めるんだよ」というセリフは舞城の短編『みんな元気。』で同じテーマを扱ってるし、ベルの最後の独白の馬のモチーフは舞城が『山ん中の獅見朋成雄』や『獣の樹』で使ってるし、舞城ファンの私は『龍の歯医者』の中に舞城要素を見つけてよだれを垂らす。

アニメ『龍の歯医者』の考察メモ - ギュッと五臓六腑

 

榎戸洋司視点からの龍の歯医者感想ブログ。

遊星歯車装置とネオテニーからの永遠の少年性、ピーターパンシンドロームの類推は膝を打った。このサイトには書かれていないが、俗世から浮いた感じの龍の歯医者、野ノ子と、野ノ子に憧れるベルという構図は、フリクリ、トップ2と同じ。フリクリでは、ハル子に憧れるナオ太、トップ2!ではラルクに憧れるノノ*7。他にも元気いっぱいな野ノ子の描写なんかは、榎戸洋司のノノやジュンコ先生を彷彿とさせる*8

 舞城王太郎が原案ですが、共同脚本の榎戸洋司作品の「いつか訪れるであろう死。それまでにやるべきことをやる。その想いの強さが力になる(『キャプテン・アース』25話)」というテーマからの直系という印象を持ちました。

(中略)

榎戸作品では『トップ2』の宇宙怪獣(幼児的万能感を持ったまま成長してしまった者)、『スタードライバー』のヘッド(楽しかった過去を永遠に繰り返したい人)、『キャプテン・アース』の遊星歯車装置(永遠の命を求めるあまりエゴが肥大した人たち)と、際限なく膨張する欲望は批判的(必ずしもすべてを悪と断ずるわけではない)な視点で描かれてきた経緯があります。他方で、懸命に生きる日々の一瞬にこそ「永遠」が宿ることも描かれてきた。“キタルキワ”を受け入れ、その上で今日を生きようとする龍の歯医者は、過去作で描かれた「限られた生の中でやるべきことをやる」という生き方をあらかじめ体現した人たちだと言えます。

『龍の歯医者』前後編感想 龍と歯医者って感じじゃなくて - さめたパスタとぬるいコーラ

 

アニメーター見本市時代の短編バージョン。

2017/3/31までの限定公開とのこと。

長編を見てから見かえすと、野の子の声優が林原なのと、キャラデザが少し野暮ったい、あと榎戸脚本じゃないからなのかストーリーが投げっぱなし。それが短編の良さを出しているのだけれど。印象としては短編の方が強い。

animatorexpo.com

 

 

 好きなところ

 冒頭のフレーズ

彼の国には龍が棲んでいる― 神話として語られた人と龍との契約がそのまま真実とは思えないが、科学万能の現代においても龍と龍を守護する職能集団“龍の歯医者”たちは確かに存在する― 

毎話、アバンタイトルでこのフレーズが入る。並行して描かれるショートストーリは本編とは関係ない。殺戮虫編のテキストエディタ編の方がモダンで素敵。

日本昔話のモノローグ、「むかしむかし、あるところに……」みたいに耳に馴染みやすいフレーズ。蟲師の冒頭なんかもこんなモノローグで始まっていた気がする。

今回の長編は、天狗虫編、殺戮虫編、とで前後編だったが、このまま、xx編、というのでどんどん続けてほしい。というか、続けられるような作り方。  

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キッチュな天狗虫のデザイン。

フリクリのカンチや、トップ2!のバスターマシンっぽい。コヤマシゲト

 

有栖川カンネ

赤髪の女の子かわいい。すねかわいい。有栖川。有栖川カンネ。キャストみたら名塚だった*9。セクハラ的な話題になるといちいち驚いているのもかわいい。前編で「俺も尻に敷かれてーなー」という宗達さんの発言に顔をしかめたり、「あんたも舌の先くらいは当たっていたんじゃない?」という柴名姉さんの台詞に顔を赤らめていたり。最後にベルの遺品の拳銃を冷めた目で投げ捨てる役割を負っているのも有栖川。

 

 なんだかんだ言って、まだまだ続編ができそうなところ。

野ノ子のキタルキワで、野ノ子を殺す兵士だって、まだ生きている描写あったし。

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*1:再度、4000文字まで書いたらまた消えた

*2:ベルナール・オクタビアス。オクタビアスの坊や。

*3:後編で、龍により死者が蘇る、という噂がブランコにより示唆されるが、本編中で実際に蘇っているのはベルのみである。ということで、龍や龍の歯医者に比べると、死んだ人間が蘇る頻度はあまり高くないのかもしれない

*4:天狗虫が出てきたときに、佐藤修三君が歯科要らずの入ったペンダントを握りしめてつぶやく。キタルキワを自覚した描写。改めて見てると、細かい伏線がいっぱいでなんど見ても楽しい。

*5:ここは、"敗者"かもしれない。歯医者は、敗者と音が重なる。意図的に重ねていると思う

*6:元ネタはNHKの特集らしいが。

*7:と、見せかけて、実はノノに憧れるラルクというトリックがある

*8:どちらも福井裕佳梨

*9:声優つながりで言うと死なずのブランコは松尾スズキ。カモンさんじゃん。

上海出張のTips

行ってきました 中国
出張で上海へ何度か行ってきたので、出張者向けのtipsを書いておく。
 
WifiルータはVPN対応のものをレンタルすること。
今なら色々出ている。イモトのWi-Fiとか。とにかくGoogleにつながらないので、アンドロイドアプリ系がほとんど使えない。グーグルプレイにもつながらないので、アプリもダウンロードできない。下に示す百度マップが非常に便利なのだが、現地ではダウンロードすらできないという詰み状態になった。*1ポータルページがGoogleになっていて、検索すら容易にできないという笑えない事態になる。
 
百度マップ(百度地图)が超便利。
現在地を認識して、近くのスポットをおすすめしてくれたり、現在地と目的地を入力すると、地下鉄・バスの乗り継ぎを表示してくれたり、車での渋滞情報などもお知らせしてくれる。グーグルマップなしでも暮らせる。
 
手荷物検査にビビるな
空港へ入る際や地下鉄は手荷物検査(X線検査機のアレ。止められている人は殆どいないが、通すことだけは強制される。リュックなども必ず通すよう指示される)あり。ビビらずちょろっと通してしまおう。
 
交通カード(交通卡, jiao tong ka)は便利なので買っておくと良い。
デポジットで20元取られるので注意。あと、窓口で購入する際に、"给我交通卡"と言えば通じるのだが、その後に何元デポジットするかも聞かれるので注意*2。どこへゆくかにもよるが、一日や二日の観光なら50元くらいデポジットしておけば良いと思う。
地下鉄、バス、タクシーに使える。
特にバスは1元からなので、小銭を用意するのも面倒だし便利。
 
 
タクシーの行き先は路の交差点で伝える。
例えば、淮海中路(Huái Hǎi zhōng lù)✕茂名南路(mào míng nán lù)など。
ホテル名や住所を伝えても伝わらないことが多い。
タクシーの乗り方は以下のサイトに書いてあるのが大体近い。
領収書をもらうのに"请给我发票" というのも忘れずに。上海でタクシーには十回以上乗ったが、領収書や行き先関係でトラブったことはない。
 
 
余談だが、空港のタクシーの客引きが凄い。"Hi! Mr.! Taxi!"とか、"タクシーどうですか?"など
到着ターミナルを出てからタクシー乗り場で並んでる時まで執拗に声をかけられる。なれるまでは結構ビビる。*3
 
また、タクシー移動の際に、時間をきっちり計算しないこと。道路は基本渋滞すると思うこと。どうにも交通インフラがまだ整備中のようで、しょっちゅう渋滞が発生している。想定時間+一時間から二時間を見ておく必要がある。
 
コンセントプラグ形状変換アダプタは基本必要なし。
上海のコンセントはこんな感じで、基本的に日本のプラグ(USタイプというのか?)も刺さるようになっている。たまに、日本プラグタイプが刺さらないようにプラスチックのカバーをしているところもあるが、マイナスドライバー等の工具でカバーを外してしまえば使える。諦めないこと。

www.shanghainavi.com

 

他にも色々と写真を取ってきたので時間を見てアップします。

 

*1:結局、日本に帰ってきてからインストールした

*2:これで結構テンパった

*3:どうみても無認可タクシーなので乗らない方が良いと思うのだが、金は取られても早く行きたい!というときには試してみるのも良いかも。命までは取られないのでは。

虐殺器官の映画と小説再読

小説 アニメ 読書感想 映画

劇場公開の数日前にTwitter前島賢のnoteが流れてきた。本編と同じくらい魅力的なnoteなので一見の価値がある。*1

 

多少Twitterでネタバレを喰らいつつ、見てきた感想と、原作を再読して罪と罰について理解したことをまとめる。

 

以下、ネタバレあります。

原作と映画の違い 

しっかし、原作読んでないとところどころ、分からないんじゃないかなー、と思った。ワシントンでのユージーン・クルップスのセールスレディとか、説明がないとただの女が笑ってるだけじゃん。

 

映画は映画で映像かっこよいしあのキャラが動いて喋ってる! という感動で良かった。原作にあった母親の死が省略されており、また、特徴的な「ぼく」のモノローグがバッサリ省略されているので、原作からの印象とはほとんど変わっている。格好良いアクション映画みたいになっている。

 

母親の死についての話が省略された関係で、クラヴィス罪と罰に関するエピソードがごっそり省略されていた。例えば。

 

レックスが自殺じゃなくて、戦闘適応感情調整と虐殺文法の干渉により錯乱してクラヴィスに射殺されたり、ウィリアムズの結婚生活の危機でカウンセラーに通った話が省略されていたり*2、それになにより、クラヴィスとウィリアムズがドミノ・ピザバドワイザーを飲みながら見ているのが「プライベート・ライアンの冒頭15分」じゃなくフットボールの試合になっている。

ウィリアムズと一緒に呼び出されたペンタゴンでユージーン・クルップスの女が作戦をプレゼンするシーンが省略されていたり、見ているムービーがアフリカの内戦指導者ではなくアレックスを射殺したクラヴィスの主観映像だったりする。

他には、プラハでルーシャス一味に捕まったときに、ルツィアがいなかったり*3、インドでのヒンドゥー・インディア+ジョン・ポールを拘束した後に襲撃されるのが、列車ではなくヘリだったりする。

アフリカ、ヴィクトリア湖畔でジョン・ポールと対峙するシーンでも、ジョン・ポールの書いた演説草稿と虐殺文法のメモ帳と、虐殺文法のエディタが入ったSDカード*4を見つけるように変更になっていた。原作だと虐殺文法のメモに記載されていたリンクに虐殺文法のエディタがあるというネタだった。

 

クライマックスシーンも、ジョン・ポールを生きてアメリカへ連れ戻そうとしてジャングルを歩いているところを特殊検索群i分遣隊のメンバーにジョン・ポールを射殺されてしまう話が、劇場版だと『僕の眉間を撃ち抜いて合衆国に虐殺の文法を播種してよ〜』って懇願する話になっていた。いや、まあ、二時間でまとめるためには仕方ないのはわかるけど、もはや原作のテーマとは別の所に行ってしまったような気がする。原作の魅力である虐殺文法のギミックとジョン・ポールの動機と魅力的なバイオハイテック兵器群で押し切った映画だった。

 

原作小説を罪と罰をキーワードとして読み解く

罪と罰についての考察は「虐殺器官 罪と罰」とかでググればいくらでも出て来るし、例えばGoogle検索上位で以下のリンクなんかが原作ページの抜粋付きでまとめてくれてる。

『虐殺器官』 抑圧者としての母、そして父 - doitakaの日記

 

罪と罰」というのは、ハヤカワ文庫版の帯「現代における罪と罰」から始まったフレーズだと思われる。確かに、クラヴィス・シェパードこと「ぼく」はしきりに母親の延命措置停止、及びそれにより意識されることになったそれまでの職業的殺人の罪と罰を求めてルツィアを探し回ることになる。アレックスの自殺も母親の死と合わせて罪のきっかけになる。

戦闘適応感情調整により殺人の罪の存在有無を疑っている「ぼく」。ルツィアとその後の心理技官との会話に見られるように、戦闘適応感情調整=殺すことを選択したことはまぎれもない「ぼく」の自由選択の結果である。罪はまぎれもなく「ぼく」のものだと認められる。しかし、プラハでのカフカの墓をめぐるデートと、その後のルーシャスの酒場での「ぼく」の母親の死に対する告解により罪を認められた後に、ルーシャスに捕まり、ルツィアを尾行しているスパイであることを知られてしまう。ルツィアを騙していた罪に対する罰を、そしてその罰にかまけてこれまでの「ぼく」の殺人についての罰を求めて、インド、そしてアフリカの虐殺文法の播種地へと「ぼく」は進んでいく。

アフリカ、ヴィクトリア湖畔のゲストハウスの二階で、ついにルツィアと再会する。

しかし、ルツィアにより赦しを得る前にルツィアは射殺され、ルツィアの最後の願いとなってしまった、ジョン・ポールを生きて裁判にかけて真実をアメリカ合衆国民に知らせるという目的のために連行している途中で、射殺されてしまう。完全な空虚とともに、「ぼく」は合衆国へ戻る。

 

レックス、ルツィア、ジョン・ポール。そのすべてが遠い過去の出来事のように思い出された。あのとき覚えたはずの感情、あのとき得たはずの洞察。そのすべてがリアリティを失って、壁に隙間なく貼り付けられたスナップ写真のように、全体のディテールのごく一部へと還元されてゆく。(第五部)

 

追い打ちのように、母親のライフログで、母親の視線=愛情が存在していなかったという事実に打ちのめされる。そして、「ぼく」は自らの罪、そしてジョン・ポールの罪をも背負う覚悟を決める。虐殺文法で語った演説はニュースクリップで繰り返し再生される。

 

作戦が終わって、ぼくはからっぽになったと思いこんでいたけれど、そこが真空ではなかった。真の空虚がぼくを圧倒した。

 そんな空虚にジョン・ポールのメモは実にぴったりと嵌った。もしくは、ジョン・ポールのメモのほうが、ぼくの空虚を見出したのかもしれない。

 (中略)

 ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険なアメリカという火種を虐殺の坩堝に放り込むことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。

 とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。 (エピローグ)

 

やっぱりぼくはゼロ年代の文脈で生きている

 前島賢ゼロ年代の文脈で語る。その事自体は自然なことだと思う。

一読目では、FPS的なモチーフと虐殺文法に代表されるSF的なギミックに翻弄されてしまったが、あらためて「罪と罰」というキーワードを追っかけながら小説の構造を読み解いてゆくと、ゼロ年代小説に特有な現実からの疎外とコミットメントが浮かび上がってきた。匂いのレイヤーでは感じていたことだが、あらためて振り返ってみるとよくわかった。

 僕が西尾維新戯言シリーズ》の新刊を追っかけていた02年頃、本屋では福井晴敏の文庫版『亡国のイージス』が平積みで「よく見ろ日本人、これが戦争だ」なんてCMが流れていた。だが仮にゼロ年代のオタク青春小説が極東情勢や自衛隊の海外派遣といった具体的で同時代的なリアルを「よく見て」しまったら、その瞬間、現実感の希薄さという最も重要なリアリティを喪失してしまう。だがそのリアリティを基盤にし続ける限り、題材は「世界の終わり」や「時間ループ」、「真実の愛」といった抽象的なものに限定され、縮小再生産に陥ってしまう……ゼロ年代の「オタク青春文学」は、そんなアンビバレンツを抱えているように見えた。「リアル・フィクション」の帯とともに刊行されたハヤカワ文庫JAのなかで、桜庭と新城が地方都市を、あるいは桜坂と海猫沢が格闘ゲームやヤンキー文化とローカルな題材を選んだのも、いかに「固有性」と「青春小説としてのリアリティ」を両立させるか、という問いからだったように見える。その問いにまったく別の方法で見事な答えを見せてくれたのが『虐殺器官』だった。

 世界には戦場という究極の現実があり、しかしそこから疎外された僕らは虚構と戯れるしかない……伊藤計劃が『虐殺器官』で否定したのは、「オタクの青春文学」の書き手、読み手たちがどこかで共有していた、この素朴な二項対立だったように思う。痛みを認識はしても痛さは感じなくする認知科学的処理、人間の倫理に関する脳機能を停止させる医学処置。そのようなSF的な――けれど十分に現実的なガジェットを用意することで、伊藤計劃は、戦場からもリアリティを奪い去って見せた。そうして生まれたのが、前述の、まったく軍事冒険SFの主人公らしからぬクラヴィスだ。傷ついても痛みは感じず、良心をあらかじめ麻痺させられ、現実の戦場に立っているというのに、まるでFPSゲームのプレイヤー程度の現実感しか得られない。ライトノベルの主人公のように自意識過剰な、戦場ですら大人になれない青年。そんな主人公の目を通じて語ることで、『虐殺器官』は、9・11以後の世界像を克明に描く軍事冒険小説のリアルと、現代的な青春小説における不確かなリアリティを両立させることを可能にしたのだ。そんな小説が可能だとは、僕は本書を読むまで、まったく想定していなかった。

ボンクラ青春SFとしての『虐殺器官』 ~以後とか以前とか最初に言い出したのは誰なのかしら?~(前島賢)|前島賢|note

 

 

 

 

*1:リボルバー・オセロットカメオ出演については気づかなかった。ググって引っかかった以下のリンクを参照して気づいた。インドでのネタか。東北大学SF研wiki - 虐殺器官

*2:これがあるのとないのとでは、ヴィクトリア湖畔でウィリアムズと撃ち合いになったときの「(ジョン・ポールとルツィアを殺すのは)モニータと赤ん坊のためだ!」というウィリアムズの台詞の重みが変わってくる。

*3:ラヴィス罪と罰に深く関わるはずなのだが

*4:これはゼリー剤を巻いて飲み込むことで持ち出したようだ。序盤の東ヨーロッパで敵兵に偽装するときに使った手段と同じように。

Live Wire [487] 17.1.7(土) 希有馬屋フリートーク#9 『中国嫁日記(六)』発売記念トーク 井上純一×じゃんぽ~る西

行ってきました

Twitterで"人が集まらない!!"というRTが流れてきたので、ちょうど時間も空いていたし申し込んで行ってきた。正直、珍獣「井上純一」を観察する二時間で、想像と異なっており微妙だったが、おそらく"希有馬屋フリートーク#9 "というように9回もやっているのだから、これはこれでありなのだろうな、と納得することにした。*1 

Live Wire [487] 17.1.7(土) 希有馬屋フリートーク#9 『中国嫁日記(六)』発売記念トーク 井上純一×じゃんぽ〜る西 - Boutreview Onlineshop powered by mb-s cart

 

井上純一はトークショーとして面白い話をしようという感じではなく、ただ喋りたいことをステージの上で喋っていただけ。じゃんぽ~る西氏は、やはり文化人なのだなあ、トークショーでも人を楽しませる話ができるなあ、と思わせるのに対して、井上純一はただの珍獣という印象だった。*2

 

会場はたぶん百人以上入っており、ほぼ満席で、男女比も半分くらいだった。おそらく、トークショーのタイトルにもある通り、結婚、子供を作ること、子育てなんかの話を聞きに来た人が多かったのではないか。

かくいう俺も外国人と付き合う経験があったので、中国嫁日記も、もちろん、モンプチもすごく楽しく読んでいたし、その話が聞きたかった。

しかし、開始19時で、21時までの2時間だったが、井上純一が中国(共産党)批判と漫画批判を二時間延々と続けた。

じゃんぽ〜る西氏はたまにコメントを求められて少し話すが、すぐに井上純一のペースになる。さすがに会場が冷めきっていることに気づいていたたまれなくなったのか、後半で、じゃんぽ〜る西氏が「今日はみなさん、国際結婚とかの話を聞きに来たんじゃないですか?」と苦笑いで観客に話を振ったら、満場の拍手(笑)*3、さらにこのうえ小説を書き始めているとのネタを披露して「これ以上俺の領域に攻め込まないでくれー」と笑いを誘っていた。

 

以下、ポツポツと雑記。

 

じゃんぽ〜る西氏がパリに行った理由が、僕の今の年齢とリンクしていて、ぞくっとした。

30歳で漫画の仕事も先が無いな、と思って、なんとなくワーキングホリデービザってあるなあ、って思って申し込んだ。イギリスに行きたかったのに年齢制限が25歳までだったので諦めた。当時ちょうど、バンドデシネが流行っていたので、パリに決めた。

 

漫画家の地位についても面白いことを言っていた。

「向こう(フランス)の漫画家は日本の漫画家みたいな卑屈さがないですよね。社会的地位が高いというか、社会的に削られないというか。」

以下は、トークショーの前のサイン会でじゃんぽ〜る西氏に書いてもらったサイン。真ん中が僕の似顔絵。すげぇ嬉しかった。*4

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最後に、福満しげゆきに対する井上純一のものすごい対抗意識に軽く引いた。非モテ

オタクと結婚と嫁ネタでカブっているせいもあるのだろう。だけど、たぶん自意識漫画っていう領域では

福満しげゆきの方が圧倒的なので、木にしなくても良いのでは、と思った。*5

 

あとは、井上純一の印象に残ったセリフとか。備忘録代わりに書いておく。

  • 今のエロ漫画の絵柄をつくったのは俺のおじの井上英樹なんだよ。
  • 俺も月の前に付き合った女の話はしないようにしてる。女性読者に嫌われるから.
  • 育児ネタ、イクメンネタは確実にウケる。外道の仕事だ。売れるネタだから書いてる。
  • なんで同人やるのかって? 金が儲かるからしかないですよ。60ページの本出せば千円の値がつくんですよ。億近く儲かりますよ。
  • エロ漫画は技術論なんですよ。フヒッ
  • 中国でBL描いてるやつは命懸けですよ。逮捕されますから。そりゃあ面白いものも出てきますよ

*1:僕はもう次があっても行かないが。

*2:じゃんぽ~る氏については、あまり喋らなかったから期待値が上がっているだけかもしれないが

*3:トークショーでは拍手が唯一のコミュニケーション手段)

最後に漫画のネタになっていたフランス人の鼻を高く描きすぎると指摘されることなどを話していた。奥さんのほうが収入が高く((ジャーナリストとのこと

*4:僕がサイン一人目で、買った本二冊ともにイラストつきでサインしてもらった。緊張してて全然喋れなかった。。。じゃんぽ~る氏が「今日はどういう経緯でサイン会の存在知ったの?」って話を振ってくれたが、「フヒッ、ツ、ツイッタで、、、フィ」みたいになって我ながら挙動不審だったと思う

*5:ふたりとも、顔が横長になるキャラデザでよく似ていると言われるらしいが、福満氏は昔からだけど井上純一はただのキャラデ。井上純一は萌え絵をしっかりかける。

2015年3月7日

メモ

特に書くことがあるわけではないが,リハビリのために書く.きまぐれに横で妖怪ウォッチを再生してるから,ジバニャンがうるさい.

どうしたら良いのか,いろいろと迷っている.会社に入ってから気づいたら三年.だいぶ,調子が良くなってきたように思う.昼間に目覚めてこんな風にエントリを書けるようになったのがその証拠.

どうにも,生活環境が大きく変わってから,調子が崩れてきたように思う.調子が崩れてると,劣等感で誰とも喋りたくなくなるし,人との関わりがばっさり抜け落ちてゆく.思考が発散してまとまらん.
これ,わりと精神的に参っている人の特徴かもね.瀬戸口でよく出てくる,あたまのなかがぐちゃぐちゃとしていて,思っていることが心のなかにわだかまっているのにうまく言葉に出来ない.状態.

必要なことはなんだろう.このブログを立ち上げた時もそうだった.なにかしらのアウトプットをすることで,自己内の安定を図ろうとしていた.

メガネを変えた.三年経つうちに視力がおちてきたようだ.これまで見えていなかった部屋の隅の埃や台所の水垢に気づく.電子レンジの横に貼り付けてある朝木貴行のシールにも改めて気づいた.そういえば数年前の新年にLOを買った時に特典でついてきたかも.

調子の悪かった頃は,休みの日は布団の中から出れなく,食事もトイレも行く気にならなかった.幸いなことに,食事を取らないためトイレにいく必要もそんなになかった.必然的に部屋も荒れて,埃が転がっている.食器も流しにたまっている.どうだかなあ.そういうのを見るたびに,さらに気力が減退していく.

とりま,エントリを出せるくらいには回復してきた.しばらくはこんなふうにだましだまし生きていくしかないのかもしれない.
そう,まだ生きています.

生存報告.

二十分間耐久筆記 2015年2月22日

実に三年ぶりに二十分間耐久筆記に挑戦する。
三年!なんと恐ろしい。三年前、2012年の2月、俺はヒミズを見ていた。らしい。就職への漠然とした不安と何よりも実績のまるでない薄っぺらな人生経験に依拠した無根拠な自信。そう。あの頃、俺には自信があった。いない歴=年齢の童貞で、特に人に自慢できる経歴もなく、志望していた出版社からは軒並みお断りの連絡をもらっていたのにも関わらず。唯一、国際誌へ一報出したことがささやかな自慢だった。
東京!!東京へ出ればいろんな可能性があり、女の子と浴びるようにSEXできる!
まるで大学進学前の俺である。
結果、大したことはなかった。もちろん、田舎とは違って居酒屋とかバーとか違法風俗店とかに外人がふつーにいてカオスだし、そーゆー外人どもがやつらのハラールだったりする食材を売ってる店が各駅にあったり、レストランがあったりする。なんちゃっての仕事で英語だったり中国語だったりでどーでも良い事務的なメールや会話のやり取りをする。秋葉原にはけっこうまともな電気電子部材が転がってたりする。もちろん中古のエロゲーだったり同人誌だったりもだ。
だからどうだというのか。人間関係? やはり変わらない。職場と以前からの友人と。おしまい。妙なつながりの合コンみたいなイベント数合わせで何度か参加したが、どうにも続かない。基本的に受け身だから。あと気に食わない奴は気に食わないから。
書き出してから懐古と後悔しかないこの散文をどこに着地させればよいのか、迷う。
大切なことは、そう大切なことは三年前に抱えていた自信だ。今の俺には自信がない。これが全ての敗因だ、とおもう。何をやっても、誰と話しても卑屈になってしまう。
三年前の自信の根拠は何だったのだろう? 未来だ。無根拠な、明日の俺は今日の俺よりも凄くなってるはずだ、という思い込み。果たして、明日どころか三年も経ってしまって、凄くなるどころか矮小になり、学生時代に軽蔑していたダサいおっさん以外の何者でもなくなっている。絶望。
どうしてこうなったのか、という後悔と、将来への期待が持てないことによる無気力。俺はどこへゆけば良いのか? 何を目標とすればよいのか? 苦しい。息苦しい。以上、現状の分析。対策は無い。無いと思う。どこかにあったのだろか、対策が。

ヒミズ感想(ネタバレ有り)-背中をぶっ叩かれるような激励

メモ 映画

screenshot
http://himizu.gaga.ne.jp/


感動した.
「住田ガンバレ!」
ラストシーンで,住田が川から出てきたシーンは感動したし,最後に二人で走ってゆくのも良かった.


映像に関しては,「冷たい熱帯魚」でもそうだったように,圧倒される.
暴力描写に裏付けられた強い「生」へのメッセージ.
3.11後の石巻市のカットも,圧倒的な現実感,というか,ままならない人生というものを象徴していて,涙が出る.
そう.瓦礫となった街を見たときに,自然と涙が溢れる.
そういったものは,少なくとも僕は震災後の仙台港周辺を通ったときに経験したし,共感する人もいるだろう.


ストーリーに関しては,ドストエフスキーの「罪と罰」が強く想起されるものだった.
父親殺しに悩む主人公.主人公は自信家で,人とは違う,と思っている.
しかも,父親を殺すときに,一回ブロックを落としてからまた拾う,なんてことも「罪と罰」に忠実だった.
最後には,少女(処女)へ懺悔し,少女の導きによって自首し,罪を償うことを決意する.
作品が悪いわけではないが,「罪と罰」の印象が強すぎて,ストーリーのインパクトが薄れてしまったように思う.


とにかく,暴力描写に富んだ作品であるにも関わらず,いや,そのせいかもしれないが,鑑賞後には何かに急かされるような,衝動的かつポジティブな気持ちになった.背中を押される,というよりは背中をぶっ叩かれるような激励を感じた.
興味のある人は是非見てください.